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教会カレンダー

B年 年間第28主日

第1朗読 知恵の書 7章7~11節

第2朗読 ヘブライ人への手紙 4章12~13節

福音朗読 マルコによる福音書 10章17~30節

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今日の典礼は、神の言葉に従うようにと、私たちの心に訴えます。

イエスの言葉に耳を傾け、イエスに信頼して自分の生涯を賭けるように、イエスは一人ひとりに愛のまなざしを向けられます。愛の挑戦です

イエスの招き、神からの呼びかけの言葉を前にして、私たちは何をどれだけ手放せるでしょうか。

「すべて? 」でしょうか。

* * * * * *

知恵の書第2部は、6章からはじまり、知恵の性質と価値、知恵の讃美について書かれています。今日の朗読個所は、その中心に位置しているのです。

「わたしは祈った。すると悟りが与えられ、願うと、知恵の霊が訪れた」とはじまるように、知恵を得るにはまず神にそれを祈り求めるようにと、著者は述べます。
 「知恵と共にすべての善が」訪れるからです。

今日の朗読箇所を読んでいると、真の知恵を願って、その望みがかなえられた人の実感が伝わってくるようです。

地上のどんな富よりも、知恵を選ぶものでありたいと思いませんか。

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今日の第2朗読は、2節という短いものです。
 ヘブライ人の手紙第2部3章は、イエスが神に忠実であったことを述べ、私たちが神の声に従って神の安息に入るようにと勧めます。そのため神の言葉を真剣に聞くようにと言います。

著者は神の言葉を、いろいろのたとえをもって表現します。
  * 神の言葉は生きており、
  * 力を発揮し、
  * どんな両刃の剣よりも鋭く、
  * 精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、
  * 心の思いや考えを見分けることができるからです。

神の言葉には力があることについて、イザヤ預言書の次の言葉を思い出しました。
  わたしの口から出るわたしの言葉も
  むなしくは、わたしのもとに戻らない。
  それはわたしの望むことを成し遂げ
  わたしが与えた使命を必ず果たす。

一度神から発せられた言葉は、単なる言葉としてとどまるのではなく、神の目的に従って働くのです。

「神の御前では……すべてのものが神の目には裸であり」とは、この章のまとめです。人はいつか神の御前に立つときがくるのです。

たった2節とはいえ、とても迫力ある今日の個所を、ゆっくり味わう一日としましょう。

* * * * * *

今日の福音は、前半部はイエスと金持ちの青年との会話、後半は弟子たちとの会話になっています。

今日は、「イエスが旅に出ようとされると」と、はじまります。この旅とはなんの旅なのでしょうか。

新改訳聖書、口語訳聖書では、「道に出て行かれると」と訳されています。
 十字架への道、十字架へと向かう旅なのでしょうか。

一人の人が走ってきて、「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」と質問します。これに対してイエスは、「神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」と、彼を神ご自身の前に立たせます。
 イエスと共通の基盤に立たせたのです。

イエスは、彼を見つめ慈しんだとあります。共観福音書でこの言葉があるのは、マルコだけです。原文を忠実に訳すと、「イエスは彼を見つめながら、愛した」ということです。愛のまなざしなのです。

そして、弟子たちを招かれたと同じように、「……わたしに従いなさい」と言われます。この人はイエスに従うために、「持っている物を売り払い、貧しい人々に施」さねばなりませんでした。

彼の答えはいうまでもなく、「はい」か「いいえ」だけでした。彼はイエスの前から去っていきます。福音は、彼が「たくさんの財産を持っていたからである」と説明し、これをきっかけに、イエスは弟子たちと神の国と富についての問答をします。

「それでは、だれが救われるのだろうか」と言い合う弟子たちの反応に、イエスは、弟子たちを見つめ、「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」とお答えになります。

イエスに見つめられた弟子たちは何を感じていたのでしょうか。
 「神には何でもできる」との言葉は、賭けることが求められるとはいえ、力強い言葉として響きませんか。

ペトロは、黙っておれず、「わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言います。ペトロの性格をかいま見るようです。

イエスは、100倍のむくいと永遠の命の約束に、迫害も付け加えます。「迫害も受ける」と。

そして、神の規準「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」で、結ばれます。

祈り

すべてを治められる神よ、
あなたは先にわたしたちを愛してくださいました。
この愛に支えられるわたしたちが、
いつも心から兄弟に仕えることができますように。
   集会祈願より

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第1朗読 知恵の書 7章7~11節

 わたしは祈った。すると悟りが与えられ、
 願うと、知恵の霊が訪れた。

 わたしは知恵を王笏(おうしゃく)や王座よりも尊び、
 知恵に比べれば、富も無に等しいと思った。

 どんな宝石も知恵にまさるとは思わなかった。
 知恵の前では金も砂粒にすぎず、
 知恵と比べれば銀も泥に等しい。

 わたしは健康や容姿の美しさ以上に知恵を愛し、
 光よりも知恵を選んだ。

 知恵の輝きは消えることがないからだ。
 知恵と共にすべての善が、わたしを訪れた。
 知恵の手の中には量り難い富がある。

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第2朗読 ヘブライ人への手紙 4章12~13節

 神の言葉は生きており、力を発揮し、
 どんな両刃の剣よりも鋭く、
 精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、
 心の思いや考えを見分けることができるからです。

 更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、
 すべてのものが神の目には裸であり、
 さらけ出されているのです。

 この神に対して、
 わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。

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福音朗読 マルコによる福音書 10章17~30節

 イエスが旅に出ようとされると、
 ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。
 「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」

 イエスは言われた。
 「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。
 神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。

 『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』
 という掟をあなたは知っているはずだ。」

 すると彼は、
 「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。

 イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。
 「あなたに欠けているものが一つある。
 行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。
 そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

 その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。
 たくさんの財産を持っていたからである。

 イエスは弟子たちを見回して言われた。
 「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」

 弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。
 イエスは更に言葉を続けられた。
 「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。
 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」

 弟子たちはますます驚いて、
 「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。

 イエスは彼らを見つめて言われた。
 「人間にできることではないが、神にはできる。
 神は何でもできるからだ。」

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