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教会カレンダー

B年 年間第29主日

第1朗読 イザヤ書 53章10~11節

第2朗読 ヘブライ人への手紙 4章14~16節

福音朗読 マルコによる福音書 10章35~45節

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「償いのささげ物」、「僕(しもべ)」、「多くの人のため」、「罪を自ら負う」、「もろもろの天を通過された」、「あらゆる点でわたしたちと同様に試練に遭われた」、「杯を飲み、洗礼を受ける」、「仕える者になる」、「多くの人の身代金として、自分の命を献げる」など……。今日の朗読の中から選び出しました。

キリストの道、キリストに従う者が歩むべき道がなにかを示してくれている言葉ではないでしょうか。

一つひとつの言葉を、聖書の中から、教会の教えの中から取り上げ、深めていかれることをお勧めします。

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今日の第1朗読は、福音でのイエスの受難の予告を受けて、イザヤ書の「主のしもべ」の歌から読まれます。

主のしもべの歌は、第1~4まであり、今日読まれるのは、第4の歌で一番長く、その結びにあたります。

苦しむ主のしもべの姿は、イエスご自身の姿と重なっています。

主のしもべの死が、罪のつぐないのためであるという思想は、主のしもべの歌の中心テーマとなっています。そして、しもべのいのちを罪の償いとされるのは、神ご自身です。

「わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った」と結んでいますが、まさに、この僕の姿こそ、十字架の上で死んでいくイエスそのものなのです。

ここに出てくる「多くの人」とは、ユダヤの人々だけではなく、異邦人をも含む全人類、すべての人という意味で使用されているようです。

今日の第1朗読を心に抱きとめながら、今日の福音書を読むことにしましょう。

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今日の第2朗読も短いものですが、著者の訴えが響いてきます。

今日読まれる個所から、「ヘブライ人への手紙」の本論である「イエス・キリストが大祭司である」というテーマに入っていきます。

イエスの比類なき偉大さ、それはイエスの本質にあるものですが、その神性を述べ、次にイエスほど完全に人間と一体になった人はいないと、他の面に目を向けています。

イエスは、罪以外に「あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」と述べます。

罪を犯されなかったとは、想像に絶するほどの罪の闇、誘惑を体験されたということです。

イエスは、同情心に富む方、あわれみ深い方なので、助けをいただくことができる方であると言います。

今日の、短い中に力強く招くこの言葉を心底から、私たちのうちに招き入れましょう。

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今日の福音は、エルサレムへ上る途中、3回目の受難予告(32~34節)の後の出来事です。

ヤコブとヨハネが「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが」とイエスの栄光の時に、その左右に座ることを求めます。

使命に向けて歩んでおられるイエスと、それをどうしても理解できない弟子たちの対照的な姿です。

イエスは、「このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか」と尋ねます。

“杯”という語は、聖書において、交わり・怒り・救いなどをあらわすためのシンボルです。“洗礼”は、水に浸すことや洗い清めることを意味しています。

聖書の世界において、食事の間に杯を回し、会食者はその杯から飲む習慣があることから、杯は、人間相互の交わりの象徴とされるようになりました。

交わりのいけにえでは、人間は神の食卓に招かれています。しかし、不信仰者は、神が差しだす杯よりも悪霊の杯を好み、神の怒りを買い、預言者たちは、この怒りの結果を表わすためにもやはり杯のシンボルを用いています。

ささげられた償いのいけにえでは、杯のなかに集められたいけにえの動物の血が祭壇と民の上に注がれることにより、民と神との間に契約の更新がなされています。

これは、イエス キリストが、ご自分の血をささげて完全に罪を清め、神との永遠の契約を結ぶいけにえをかたどるものです。また、神の子イエスのいけにえは、父なる神から飲み干すようにと与えられる杯と言われています。

この杯は、「救いの杯」となってすべての人に差しだされることになります。信徒は、キリストの再臨の日まで彼の血にあずかり、神の国でみ子の食卓について飲食をともにしながら父なる神をとこしえにたたえるのです。

こう見てくると、イエスの問いは、「あなたたちは、わたしが通り抜けるような体験、つまり、迫害、憎しみ、苦しみ、死……に沈むことができるのか。十字架なしに栄光はないことを分かっているのか」と、問われているということもできます。

2人の弟子が、「はい」と答えたように、彼らは主の経験を通り抜けましたが、この時には彼らはその現実を知らずに、イエスからのチャレンジを受け入れたということができます。

イエスは12弟子を呼び寄せ、「皆に仕える者になり」、「すべての人の僕になりなさい」とお命じになり、ご自分のミッション、「 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命をささ献げるために来たのである」と宣言されました。

さて、あなたは自分のミッションをどう宣言しますか。あなたをこの地球の星の中におかれた方は、あなたにミッションを与え、それはあなたが発見するのを待っておられることでしょう。

祈り

恵み豊かな神よ、
ひとり子イエスは、すべての人の救いのために
自らのいのちをおささげになりました。
わたしたちが苦しみや試練の中にあっても、
主の十字架のうちに
希望を見いだすことができますように。
   集会祈願より

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第1朗読 イザヤ書 53章10~11節

 病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ
 彼は自らを償いの献げ物とした。
 彼は、子孫が末永く続くのを見る。

 主の望まれることは
 彼の手によって成し遂げられる。
 彼は自らの苦しみの実りを見
 それを知って満足する。

 わたしの僕は、
 多くの人が正しい者とされるために
 彼らの罪を自ら負った。

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第2朗読 ヘブライ人への手紙 4章14~16節

 わたしたちには、
 もろもろの天を通過された偉大な大祭司、
 神の子イエスが与えられているのですから、
 わたしたちの公に言い表している信仰を
 しっかり保とうではありませんか。

 この大祭司は、
 わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、
 罪を犯されなかったが、あらゆる点において、
 わたしたちと同様に試練に遭われたのです。

 だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、
 時宜にかなった助けをいただくために、
 大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。

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福音朗読 マルコによる福音書 10章35~45節

 ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。

 「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」
 イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、
 二人は言った。
 「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、
 もう一人を左に座らせてください。」

 イエスは言われた。
 「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。
 このわたしが飲む杯を飲み、
 このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」
 彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。
 「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、
 わたしが受ける洗礼を受けることになる。
 しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、
 わたしの決めることではない。
 それは、定められた人々に許されるのだ。」

 ほかの十人の者はこれを聞いて、
 ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。

 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。
 「あなたがたも知っているように、
 異邦人の間では、
 支配者と見なされている人々が民を支配し、
 偉い人たちが権力を振るっている。
 しかし、あなたがたの間では、そうではない。
 あなたがたの中で偉くなりたい者は、
 皆に仕える者になり、
 いちばん上になりたい者は、
 すべての人の僕になりなさい。
 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、
 また、多くの人の身代金として
 自分の命を献げるために来たのである。」

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