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教会カレンダー

C年 年間第2主日

第1朗読 イザヤ書 62章1~5節

第2朗読 コリントの信徒への手紙一 12章4~11節

福音朗読 ヨハネによる福音書 2章1~11節

救い主イエス・キリストの降誕、公現、洗礼を祝った後にはじまる年間主日では、イエスの宣教生活の出来事が朗読されます。
 イエスの宣教生活は、まず福音のメッセージの宣言と弟子の召命によってはじめられます。今日も2つのテーマが登場します。

福音のメッセージでは、イエスがカナの婚礼の席上で水をぶどう酒に変え、はじめて人々の前で不思議なしるしを現されます。

「婚礼」は、旧約の預言者からも神と人との関わり、交わりを表すたとえとされています。その宴でのイエスの業は、私たちを神との一致に招くことを示唆しています。

私たちは長い年間主日の終わるとき、キリストの花嫁として「神の子羊の婚宴に招かれる幸いな人」となるのです。

教皇が「ロザリオ年」に発布された「光の神秘」の、第二の黙想は、今日の福音で読まれる「イエスがカナの婚礼で最初のしるしを行う」箇所です。この神秘を祈りつつ、イエスが、母マリアのとりなしに応え、カナの婚礼で水をぶどう酒に変え、弟子たちの信じる心を開いてくださったことを黙想します。今日、この一連をささげて、イエスへの信仰を深めることができるよう、聖母の取り次ぎを願う1日とするのは、意味あることです。

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第1朗読は、教会の祈りや典礼の中でもたびたび登場し、新約聖書にも引用される第3イザヤ書に属するイザヤ書62章からです。

第3イザヤ書の2部では、60章に輝かしい未来の描写、61章は預言者の召命と民への励まし、62章では、エルサレムの未来の栄光、神との親しい関係回復、神のたえまない配慮……と続いていきます。

バビロン捕囚から帰還したものの、エルサレムでは異教や偶像礼拝が広がり、神に対する民の信仰再建は困難を極めるものでした。

イスラエルの民がどんなに不忠実であっても、神は民を見捨てず、民はひとえに神の栄光を受け、神の喜びとされています。
 神の愛によって復興され、美しく装われるエルサレム、神の民の都についての預言です。

神がふたたびシオンを訪れ二度と見捨てることはないというメッセージは、なんと希望にみちたメッセージでしょうか。
 この預言は、新約において成就しました。神の愛はイエスの中で目に見える形で現れたからです。

「花婿が花嫁を喜びとするように あなたの神はあなたを喜びとされる」、ゆっくりとかみしめ、味わいたいものです。

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第2朗読では、今日から第7主日までパウロの「コリントの信徒への第一の手紙」が読まれます。

アテネの西、交通の要路に位置するコリントは、商業の盛んな港町で、ギリシア文化やユダヤ文化に属する人々などから形成された、いわば国際都市でした。さまざまな文化の中で、キリスト者はどのような生き方で一致できるかが議論されていました。文化の違うところでどのようにキリストのメッセージを生きるかという文化受容に関して、パウロから学べることがたくさんありますので、今年はこのような視点でパウロの手紙を読んでみるものいいでしょう。

6章でパウロは「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿」であると、聖霊の住まいである体について述べますが、今日の手紙では、パウロはキリスト者を共同体的、社会的な視点から考察しています。
 「一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです」と。

さらにパウロは、キリストの体についての考えを発展させています。それは、「囚われの書簡」と呼ばれる「エフェソの信徒への手紙」や「コロサイの信徒への手紙」においてです。この機会にこのテーマからこれらの手紙を読んでいくと、今日の朗読がもっと深められるでしょう。

「全体の益となる」ために、また共同体の奉仕のために一人ひとりに与えられているたまものに目覚め、そのたまものを生かすことを祈り求めたいものです。

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今年の福音は、ルカ福音書を中心に読んでいくのですが、年間の最初の主日は、ABC年ともイエスが救い主であることを証言するヨハネ福音書の箇所が読まれ、今日はカナの婚宴での奇跡が読まれます。

婚宴というだれもが祝福と分かることは、旧約時代から神と人との交わりを表すシンボルとして用いられています。今日の箇所は、婚宴の席で、イエスが水を最上のぶどう酒に変え、メシア時代の豊かさと、イエスが神から遣わされた方であることを表しています。

「しるし」、しかも「最初のしるし」という言葉で表現されている出来事は、単なる出来事ではなく、この出来事の中に神の力の介入を示しています。他の福音史家が、力あるわざと表現するのをヨハネは、「しるし」という言葉を使います。ヨハネは出来事の不思議に心を奪われるのではなく、その奥にある神のメッセージに向かうようにすすめます。この「しるし」、出来事の真の意味に出あう人は、神に導かれていくので、イエスを信じるか、否かという決断が求められるのです。

今日の出来事は、カナというガリラヤの小村、名もない人の婚礼の式です。

ぶどう酒がなくなったという日常的な現実をマリアから差し出されたイエスは、「わたしの時」、イエスの時がまだ来ていないにもかかわらず、ぶどう酒がないという人間の営みを、救いの、恵みの次元に引き上げてくださいました。

人々はこのぶどう酒がどこからきたのか、と問います。

問いの奥のメッセージ、神の栄光をみた「弟子たちはイエスを信じた」のです。

日常の出来事、どんなこともマリアをとおしてイエスの前に持ち出す祈り、そんな祈りの日としてはいかがですか。

祈り

愛の源である神よ、
  あなたは心から祈る者の声を聞き、
  こたえてくださいます。
  この集いを主キリストとともに祝う喜びの宴としてください。
  賛美と感謝をささげる一人ひとりのうちに、
  あなたの愛が満ちあふれますように。
   集会祈願より

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第1朗読 イザヤ書 62章1~5節

シオンのために、わたしは決して口を閉ざさず
エルサレムのために、わたしは決して黙さない。
彼女の正しさが光と輝き出で
彼女の救いが松明のように燃え上がるまで。

諸国の民はあなたの正しさを見
王はすべて、あなたの栄光を仰ぐ。
主の口が定めた新しい名をもって
あなたは呼ばれるであろう。

あなたは主の御手の中で輝かしい冠となり
あなたの神の御手の中で王冠となる。

あなたは再び「捨てられた女」と呼ばれることなく
あなたの土地は再び「荒廃」と呼ばれることはない。
あなたは「望まれるもの」と呼ばれ
あなたの土地は「夫を持つもの」と呼ばれる。
主があなたを望まれ
あなたの土地は夫を得るからである。

若者がおとめをめとるように
あなたを再建される方があなたをめとり
花婿が花嫁を喜びとするように
あなたの神はあなたを喜びとされる。

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第2朗読 コリントの信徒への手紙一 12章4~11節

賜物にはいろいろありますが、
それをお与えになるのは同じ霊です。

務めにはいろいろありますが、
それをお与えになるのは同じ主です。

働きにはいろいろありますが、
すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。

一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。

ある人には“霊”によって知恵の言葉、
ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、
ある人にはその同じ“霊”によって信仰、
ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、
ある人には奇跡を行う力、
ある人には預言する力、
ある人には霊を見分ける力、
ある人には種々の異言を語る力、
ある人には異言を解釈する力が与えられています。

これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、
“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。

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福音朗読 ヨハネによる福音書 2章1~11節

三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。

ぶどう酒が足りなくなったので、
母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
イエスは母に言われた。
「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。
わたしの時はまだ来ていません。」

しかし、母は召し使いたちに、
「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。

そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。
いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。

イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、
召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
イエスは、
「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。
召し使いたちは運んで行った。

世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。
このぶどう酒がどこから来たのか、
水をくんだ召し使いたちは知っていたが、
世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。
「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、
酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、
あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」

イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。
それで、弟子たちはイエスを信じた。

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