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教会カレンダー

C年 年間第4主日

第1朗読 エレミヤ書 1章4~5、17~19節

第2朗読 コリントの信徒への手紙一 12章31~13章13節

福音朗読 ルカによる福音書 4章21~30節


預言者エレミヤ

今日の福音では、先週の箇所に続いて、イエスの郷里ナザレでのイエスの言動とそれに対する人々の反応について描かれています。

第1朗読では、エレミヤが、預言者として神から召された体験を語ります。神は、神の言葉を語る人と共におられ、助けを与えられるので、恐れずに神の言葉を語るようにと言われます。

福音書では、イエスがインマヌエル(神が共におられるの意味)として、自分の子ども時代を知っているナザレの人の前で、自分が何者であるかを明かされます。そして、イエスは、神の救いがイスラエルの民を超えているという神のお心をはっきりと語られます。預言者たちにより語りつがれた神の言葉、神の救いの喜びがキリストによって、今、この時に実現していることが告げられています。

預言者エレミヤにせよ、イエスにせよ神の言葉を語る者は、人々から拒まれるという現実がありました。キリスト者であるあなたは、この現実をどう生きますか。

* * * * * *

第1朗読で読まれるエレミヤ書は、新しい契約について述べる預言者として知られています。また、エレミヤ書は、波瀾万丈の生涯、苦しみある自分の人生そのものをも伝えています。

今日、読まれるのはエレミヤの召命を伝える記事ですが、彼が召命を受けたのは、ユダの王ヨシアの第13年、つまり紀元前627年ごろのことです。
 この背景が分かるために、列王記下 22章以下を読んでいくといいでしょう。

ヨシア王がアッシリア帝国からの独立を目指して、宗教改革を志しましたが、その少し前にエレミヤは召命を受けたのです。

神はエレミヤを母の胎内に造る前から知り、エレミヤが承諾する前にすでに神は彼を捉えておられます。エレミヤの召命は、神との親しい語らいの中で行われました。

彼の召命は、

* 神との対面 4節
* 導入の言葉 5a節
* 拒絶 6節
* 保証 7~8節
* しるし 9~10節

 となっていますが、これはモーセの召命の場面と似ているところから、エレミヤはモーセの預言職を継承するものと考えられていました。

今日読まれる17~19節は、エレミヤが受けた派遣の言葉です。
 18節には、エレミヤが戦うべきユダの政治的、宗教的指導者が列挙されています。彼らは、エレミヤに勝つことはできないのです。神が「共にいて、救い出し」てくださるからです。

この神の約束に信頼して、しりごみしながらもエレミヤは、神の招きに応えていきます。

「わたしはあなたを母の胎内に造る前から……知っていた」とのみ言葉は、詩編にも、新約でもパウロの手紙に登場していますが、神の絶大なはからいを感じさせてくれる神の言葉として響いてきませんか。このみ言葉を、あなた自身に語られた神からの言葉として味わってみてはいかがですか。

* * * * * *

第2朗読は、パウロの有名な愛の賛歌について読まれます。
 「あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい」とはじまる今日の朗読です。「『もっと……』とは?」と人が注意を向けたときに、この愛の賛歌が力強く語られていくのです。

「愛がなければ……無に等しい。愛がなければ……何の益もない」と語った後、「愛」とは何かの特徴を列挙し、「もっとも大いなるものは愛である」とパウロは閉じます。
 パウロは、もっとも大切な宝、愛について見事に説いています。

パウロが語った愛とは、キリスト以外にありません。愛の特徴を述べている箇所に、「愛」の言葉に代えて「キリスト」を入れて読んでみると、キリストこそ愛そのものに生きた方であるとはっきりするでしょう。
 あなたも、「愛」を「キリスト」に代えて読んでみてはどうですか。

私たちの親しい聖人、幼きイエスの聖テレジアは、「もっと大きな賜物」に惹かれ、愛の道に触れ、この愛の道こそ教会の中での自分の召命の鍵を与えてくれたと言っています。

パウロが勧めるように、もっともすぐれた道、愛の賜物を望む恵みをお互いに祈り求めましょう。

* * * * * *

今日読まれる福音書は、先週の福音の後半部になっています。

イエスがナザレで受け入れられない記事は、福音史家すべてが書き記していますが、今日の福音についてはルカのみの記述です。しかもマタイ、マルコはガリラヤ宣教の終わりにのせていますが、ルカは宣教生活のはじめになっています。

エルサレム神殿でイエスが献げられる記事も、ルカのみが書き記しています。ここでルカは、シメオンをして、マリアに「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています」と言わせています。この第1歩が、ナザレではじまったのです。

このような体験は、第1朗読で読むエレミヤをはじめ、神の預言者が体験したことでした。

イエスは、「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」と言われ、「サレプタのやもめ」と「シリア人ナアマン」の例を話されます。

ルカはこの二つの例を引き出すことにより、イエスがイスラエルの不信仰ゆえに、異邦の地、イスラエルを越えた世界に向けられることを述べています。

この例は、ユダヤの人々にとって非常に侮辱を感じさせるものでした。「これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした」と書かれているとおりです。
 その時の状況が、イメージになって浮かんでくるようです。

イエスは、「人々の間を通り抜けて立ち去られ」、ご自分の使命に向けて歩み続けられるのです。

祈り

一人ひとりの心に語りかけてくださる神よ、
  あなたはわたしたちの思いをすべて知っておられます。
  きょうここに集うわたしたちを聖霊によって導いてください。
  あなたの声に素直に心を開くことができますように。
   集会祈願より

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第1朗読 エレミヤ書 1章4~5、17~19節

主の言葉がわたしに臨んだ。
「わたしはあなたを母の胎内に造る前から
あなたを知っていた。
母の胎から生まれる前に
わたしはあなたを聖別し
諸国民の預言者として立てた。」

あなたは腰に帯を締め
立って、彼らに語れ
わたしが命じることをすべて。

彼らの前におののくな
わたし自身があなたを
彼らの前でおののかせることがないように。

わたしは今日、あなたをこの国全土に向けて
堅固な町とし、鉄の柱、青銅の城壁として
ユダの王やその高官たち
その祭司や国の民に立ち向かわせる。

彼らはあなたに戦いを挑むが
勝つことはできない。

わたしがあなたと共にいて、救い出すと
主は言われた。

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第2朗読 コリントの信徒への手紙一 12章31~13章13節

あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。
そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。
たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、
愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。

たとえ、預言する賜物を持ち、
あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、
たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、
愛がなければ、無に等しい。

全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、
誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、
愛がなければ、わたしに何の益もない。

愛は忍耐強い。
愛は情け深い。
ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。

礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

愛は決して滅びない。
預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、
わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。

完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。
幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、
幼子のように思い、幼子のように考えていた。
成人した今、幼子のことを棄てた。

わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。
だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。
わたしは、今は一部しか知らなくとも、
そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。
その中で最も大いなるものは、愛である。

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福音朗読 ルカによる福音書 4章21~30節

イエスは、「この聖書の言葉は、今日、
あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。

皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。
「この人はヨセフの子ではないか。」

イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、
『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、
『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、
郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」

そして、言われた。「はっきり言っておく。
預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。

確かに言っておく。
エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、
その地方一帯に大飢饉が起こったとき、
イスラエルには多くのやもめがいたが、
エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、
シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。

また、預言者エリシャの時代に、
イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、
シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」

これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、
総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、
町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。
しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。

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