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教会カレンダー

C年 年間第19主日

第1朗読 知恵の書 18章6~9節

第2朗読 ヘブライ人への手紙 11章1~2、8~19節

福音朗読 ルカによる福音書 12章32~48節

今日の典礼のテーマは、「神を待ち望む」です。

今日のみ言葉では、それぞれの時代の神を待ち望む人の姿が描かれています。

神を待ち望む、「待つ」というとき、心配して長引くのを苦にするのではなく、「待つ」という原語には、約束を信じ、祈りつつ、親しい人を待ち迎える、願って主体性をもって待つという意味があります。

あなたの待つ姿勢は?

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第1朗読では、「知恵の書」が読まれます。この書の第1部(1~5章)は知恵と人間の関係、第2部(6~9章)は、知恵の性質、第3部(10~)は歴史に現された知恵について語られています。今日の朗読は、18章からでエジプト脱出の出来事における知恵の現れです。イスラエルの民は、この過ぎ越しの祭りを代々にわたって行うように神に命じられました。

この祭りの時に、エジプト脱出の過ぎ越しの「あの夜」のように、神がしてくださった大きな贖いと解放の恵み、つまり、主の救いを受けるようにと、著者は招きます。

「あの夜」とは、過ぎ越しの夜、アブラハムをはじめとする祖先たちに与えられた救いの約束が、この夜に実現したのだということを指しています。

「善き民の清い子らは……」ではじまる9節は、その過ぎ越しの祭りの様子を伝えています。

過ぎ越しの夜を待ち望んだイスラエルの民、あの夜に主がしてくださったことを思い出し、神を賛美しながら、「順境も逆境も、心を合わせて受け止める」のです。

「そのとき彼らは先祖たちの賛歌をうたっていた」と閉じる今日の朗読ですが、とても印象深いと思われませんか。

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15日は聖母被昇天と重なるので例外ですが、典礼上では今日から4回にわたって第2朗読で「ヘブライ人への手紙」が読まれます。
 当時の激しい迫害を経験して信仰に疲れを感じている信徒たちに、著者はアブラハムの例をあげながら信仰を励ましています。

召し出しを受けて、神から呼ばれるままに、約束された地に出発するアブラハム。彼はまだ見ていない約束のものを、はるかに見る力によって生かされていました。目に見えないもの、神の建てられる都を待ち望む旧約の人々をあげながら、信仰こそ望んでいる事柄に確信を与え、信仰によって希望し、待ち望ませます。

人が設計するものだけではなく、神が設計する、この神の設計にそった生き方を願う、待ち望む生き方、そのような生き方をどう感じられますか。

迫害のため信仰生活に疲れた人たちにとって、天の故郷を待ち望んで故郷を発ったアブラハムの姿は、彼らに勇気を与え、目に見えない神の約束を確信させ、待ち望ませたのでした。

私たちの信仰の軸を確認させてくれる今日の朗読を、ゆっくり味わうことをお勧めします。

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今日の福音で、イエスは終末について弟子たちにさとされます。

目に見えない神を確信し、主の訪れを待ち望むには どんな態度がふさわしいのか、福音書でイエスはたとえで語られます。

「小さい群れよ」とイエスが呼びかけるのは、貧しい人、しいたげられている人、神以外に頼るすべのない人です。

「主人の帰りを待ち望むしもべ」のたとえ、動きやすいように帯を締め「すぐに戸をあける」状態、このような準備は、今の時代にはどうすることなのでしょうか。

「用意していなさい。人の子は、思いがけない時に来る。」

目に見えない神に、今、信頼するとはどういうことなのでしょうか。
 今日は、このことを祈ってみてはいかがですか。

祈り

希望の源である神よ、
  あなたは深いはからいによって、
  世界に救いをもたらしてくださいます。
  あなたの民の集いに聖霊を注いでください。
  神の国の実現を信じるわたしたちの心が、
  希望のうちに一つになりますように。、
  主の死を告げ知らせることができますように。
   集会祈願より

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第1朗読 知恵の書 18章6~9節

あの夜のことは、我々の先祖たちに
   前もって知らされており、
彼らはあなたの約束を知って
  それを信じていたので、   動揺することなく安心していられた。
神に従う人々の救いと、敵どもの滅びを、
あなたの民は待っていた。
あなたは、反対者への罰に用いたその出来事で、 わたしたちを招き、光栄を与えてくださった。 善き民の清い子らは、ひそかにいけにえを献げ、 神聖な掟を守ることを全員一致で取り決めた。 それは、聖なる民が、順境も逆境も
  心を合わせて受け止めるということである。 そのとき彼らは先祖たちの賛歌をうたっていた。

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第2朗読 ヘブライ人への手紙 11章1~2、8~19節(または、11章1~2、8~12節

 (皆さん)信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。
 信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に 出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。 信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、 同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。 アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を 待望していたからです。 信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに 子をもうける力を得ました。 約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。 それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、 また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。

 (この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。 約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、 自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。 このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを 明らかに表しているのです。 もし出て来た土地のことを思っていたのなら、 戻るのに良い機会もあったかもしれません。 ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。 だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。 神は、彼らのために都を準備されていたからです。 信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。 つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。 この独り子については、 「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。 アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。 それで彼は、イサクを返してもらいましたが、 それは死者の中から返してもらったも同然です。)

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福音朗読 ルカによる福音書 12章32~48節(または 12章35~40節)

 (そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)
 (「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。 自分の持ち物を売り払って施しなさい。 擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。 そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
 「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。 主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、 すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。 主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。 はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、 そばに来て給仕してくれる。 主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、 目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。 このことをわきまえていなさい。 家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、 自分の家に押し入らせはしないだろう。 あなたがたも用意していなさい。 人の子は思いがけない時に来るからである。」
 (そこでペトロが、 「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。 それとも、みんなのためですか」と言うと、 主は言われた。 「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした 忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。 主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。 確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。 しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、 下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、 その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、 彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。 主人の思いを知りながら何も準備せず、 あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。 しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。 すべて多く与えられた者は、多く求められ、 多く任された者は、更に多く要求される。」)

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