home>カレンダリオ>教会カレンダー

教会カレンダー

C年 年間第27主日

第1朗読 ハバクク書 1章2~3、2章2~4節

第2朗読 テモテへの手紙二 1章6~8、13~14節

福音朗読 ルカによる福音書 17章5~10節

神に従う人は信仰によって生きる
                  (ハバクク 2.4)

自分に命じられたことをみな果たしたら、
「わたしどもは取るに足りない僕(しもべ)です……。
しなければならないことをしただけです。」
                  (ルカ 17.10)

今日の典礼のテーマは、神の前にもつべき人間の姿勢です。

信仰の道を歩むとき、なぜ神が存在するのにこんなことが起こるのか、起こっていいのか。神を信じているのになぜこんなこともできないのか……など、このような思いをもったことはありませんか。

今日の典礼は、まさにこのような時に神に心を向けるようにと勧めています。それができるのは、いただいている神からの信仰のたまものです。

パウロの勧め「あなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます」を自らのうちに迎え入れる一日といたしましょう。

* * * * * *

今日第1朗読で読まれるハバクク書では、「主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのに いつまで、あなたは聞いてくださらないのか。わたしが、あなたに『不法』と訴えているのに あなたは助けてくださらない」との助けを求めて叫ぶ真剣な問いかけの言葉ではじまっています。

ハバクク書は、紀元前609から598年の間に書かれたといわれています。当時のオリエント世界の覇権争いの中で、列強バビロニアとエジプトの間を右往左往していたユダヤ王国は、ヨシア王をメギドにおける非業(ひごう)の死で失い、エジプトの圧力がのしかかってきた状況を歩んでいました。

この困難な状況の中にあって、なぜこのような不合理が歴史の中で行われ、しかも神がこれを見過ごされているのか、と神に問いかけているのです。

ハバクク書は3章からなっており、詩編のような歌の形式で書かれています。1章では、イスラエルの民を代表してハバクク預言者が神に問いかけ、2章ではこの問いかけに神が応えています。3章では、信仰の勝利を歌うハバククの嘆願と賛美の詩になっていますが、今日の典礼ではこの3章は読まれません。みなさまも、ぜひお読みになることをお勧めします。

* * * * * *

第2朗読では、テモテへの手紙 II が読まれます。パウロの最後の手紙です。パウロは、キリストを宣べ伝えたがゆえに投獄され、死刑に処せられる日を待つなかで、この手紙を書きました。

死を前にしたパウロは、エフェゾ教会の司牧者であった若いテモテに、「神の賜物(たまもの)を、再び燃えたたせるように」、「神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください」、「あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい」と、励ましと勧めの手紙を書いています。

「神の賜物を再び燃えたたせる」とは、現実には苦難への道、十字架の道への参与を意味します。

愛弟子テモテに言われたこの言葉は、今日の私たちにも言われている言葉ではないでしょうか。

あなたにゆだねられている良いものを、
わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。

かみしめ、味わいたい今日のパウロの言葉です。

* * * * * *

福音書では、「信仰を増してください」との使徒たちの願いに、「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう」と、イエスはお答えになります。

使徒たちの願いに対しての答えに、共観福音書は2つの異なった句を伝えています。今日読まれるルカ福音書では、2つの句、「からし種の信仰」と「桑の木」が結びついています。

からし種のたとえは、パレスチナの風土環境から素材がとられています。からし種は、糸のように細かいさやの中に収まっている、人の目にやっと見えるか見えないかというほどの小さな粒で、この中に命が宿っているとは考えにくいほどのものです。しかし、これがよい土壌にまかれると、4メートルほどにも成長するのです。

人の目には見えないほどの信仰でも、イエスは認め、大切にし、山や木を移す奇跡を約束しています。どんな小さな信仰であっても、信仰は大きな力になっていくのです。

また、イエスは、「主人と僕」とのもう一つのたとえで、神と私たちの関係を説明されます。腰に帯を締め、主人に給仕するしもべの姿が描かれています。

帯を締めるという行為は、働くための準備であり、エジプト脱出のときのように、過ぎ越しを祝うユダヤの人々の旅仕度の姿でもあるのです。

信仰とは、謙遜な奉仕、神のよびかけに敏速に答えていく動的な姿勢であることを、イエスは教えてくださっているのでしょうか。

祈り

父である神よ、
  あなたはすべての人を招き、
  信仰の道を歩むよう支えてくださいます。
  キリストの名のもとに集うわたしたちが、
  信じる心をたえず新たにし、
  福音をよりどころとして生きることができますように。
   集会祈願より

▲ページのトップへ

第1朗読 ハバクク書 1章2~3、2章2~4節

 主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのにいつまで、 あなたは聞いてくださらないのか。 わたしが、あなたに「不法」と訴えているのにあなたは助けてくださらない。
 どうして、あなたはわたしに災いを見させ 労苦に目を留めさせられるのか。
暴虐と不法がわたしの前にあり
いが起こり、いさかいが持ち上がっている。

主はわたしに答えて、言われた。
「幻を書き記せ。
走りながらでも読めるように板の上にはっきりと記せ。 定められた時のためにもうひとつの幻があるからだ。 それは終わりの時に向かって急ぐ。 人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。 それは必ず来る、遅れることはない。 見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。 しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」

▲ページのトップへ

第2朗読 テモテへの手紙二 1章6~8、13~14節

(愛する者よ、)そういうわけで、わたしが手を置いたことによって あなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。 神は、おくびょうの霊ではなく、 力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。 だから、わたしたちの主を証しすることも、 わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。 むしろ、神の力に支えられて、 福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。 キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛をもって、 わたしから聞いた健全な言葉を手本としなさい。 あなたにゆだねられている良いものを、 わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。

▲ページのトップへ

福音朗読 ルカによる福音書 17章5~10節

 使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、 主は言われた。 「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、 この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、 言うことを聞くであろう。
 あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、 その僕が畑から帰って来たとき、 『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。 むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、 わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。 お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。 命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。 あなたがたも同じことだ。 自分に命じられたことをみな果たしたら、 『わたしどもは取るに足りない僕です。 しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」

▲ページのトップへ