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新世紀ルーツへの巡礼
豊かな恵みの富
3) フランシスコ・レ司教は
アルバのフランシスコ・レ司教は、この書類を数ヵ月間、手元にとどめて検討し、有識の聖職者や司教地方代理たちの意見を求めた後、1921年12月31日付けで、彼自身の手紙を添えて、修道会聖省に提出しています。
司教はその手紙の中で次のことを証明しています。
* 聖パウロ会の目的は、時代の必要に最も適していること。
* 会員のうちに息づいている精神は、修道者に要求されるそれに適合していること。
* 今はもはや発展していて、まじめで継続性があり、カトリック教会の中で貴重な貢献をするであろうとの、確かな希望を示していること。
* 司教自身は、ここに申請されている創立を、近いうちに認可する方がよいとの意見に傾いていること。
それから司教は、修道者聖省に次のことを尋ねています。
- アルベリオーネ神父が、修道会の創立を継続し、この報告にもあるように、その会員たちが聖パウロ会において献身するという私的誓願に結ばれるのを、今のところそのままにしておいてもよいか。
また、一時的に彼が修道女たちの指導に当たっているのを、そのまま許しておいてよいか。 - 修道会聖省が教会から要求されている勧告を行うためには、ここに提出されている会憲の要点だけで十分だろうか。
- もし不足がある場合には必要なことを補足するとして、アルベリオーネ神父には、彼がアルバで創立した聖パウロ会に近い、将来に教区直轄の修道会として認可されるだろうという希望を持たせておいてよいか。
記録は残されていませんが、アルベリオーネ神父自身が関係書類を全部持参し、ローマの関係者に届けているようです。彼自身が『良書出版協力者会誌』に書いているように、「会の大切な用事のために」、1921年1月2日には、彼はローマにいました。そして8日までそこに留まっていました。
つまり、アルベリオーネ神父は自分でバチカンに行き、近くから手続きの運びにつきそい、教皇ベネディクト15世に個人謁見する機会を得ています。1922年 1月はじめのことです。これは、同月22日に教皇が死去されたので、この教皇在位、最後の謁見のひとつになったわけです。
彼は、帰路ピサに立ち寄り、マッフィ枢機卿の支持の確証を求めたのでした。枢機卿は、非常に暖かく彼を迎え入れ、会の発展と活動について詳細な情報を求めました。
アルベリオーネ神父が聖座(教皇庁)に出した申請書は、今、新しい修道会を創立する必要はないと思うという理由で、却下されています。
その時は、ピオ11世が着座していました。
アルベリオーネ神父は、聖座の却下にもこりず、もうひとつの手続きを開始しました。女子の修道会を誕生させるための手続きです。
◆2--7 豊かな恵みの富