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新世紀ルーツへの巡礼

目次

豊かな恵みの富

4) あらたなる試練

ベネベッロの教会内部
ベネベッロの教会内部

新しい出版印刷学校での印刷部門も軌道に乗り、有能な作家ウーゴ・ミオニ神父に小説を書いてもらい、これを昼夜兼行で印刷し、女子パウロ会のシスターの協力を得て、イタリア全土に普及しました。

しかし、うまく軌道したかにみえた歩みは、この段階で大きな試練に直面しました。アルベリオーネ神父が体調を崩し、病床に伏したのです。彼には、安静が必要でした。

アルベリオーネ神父は、動揺する会員たちに向かって、「私が死ぬことになったら、カノニコ・キエザ神父様にお願いして、助けていただきなさい。前進あるのみですよ」と言ったのです。

ジャッカルド神父は、聖パウロの役であったアルベリオーネ神父が倒れたわけですから、愛弟子のテモテのように、彼自身がみなを励まし、目標に向けて前進する必要があると感じ、みなをひとつにまとめていきました。

1923年、アルベリオーネ神父は、アルバから離れ、かつて過ごしたこともあり、とても空気のいいベネヴェッロに療養のために退くことになりました。

ベネヴェッロは、アルバの南東の海抜700メートルのランゲ丘の上にあり、この小さな村のすそにはケラスカ川とベルボ川が流れ、親しい友人ブロヴィア神父が主任司祭をしていました。

彼は、静かな部屋を彼のために整え、手厚く世話をしました。心配だった危機をのり越えると、ゆっくりながら快方に向かう気配が見えはじめました。弱りきっていて、本を手にする力もありません。

道

●ロヨラの聖イグナチオの『霊操』を読んで聞かせてもらい、それを1日の祈りのテーマにしていました。400年前にマンレーサの「神の騎士」が書いた霊性の基本原理にそったこの本に、カルドネルの渓流に目をそそいでいたこの聖人に起こったことが書かれていました。彼の言葉によると、この黙想は、魂の奥底まで浸透していったということです。

●「そこにじっと腰をおろしていると、知性の目が開いてくるのだった。べつに幻示(げんし)を見たということではなかったが、霊的生活、信仰、学問に関する多くのことを理解し、悟った……。」

アルベリオーネ神父は、自分の死がまもなく訪れるか、あるいは少なくとももう通常の任務には戻れないことを深く実感していたようです。

あの少年たち、あの少女たち、はじめたばかりの事業、金銭的責任も含めたたくさんの責任……。

「彼らは今どうしているだろうか」という問いが、医師の宣告を背負って病床にあったヤコボ・アルベリオーネ神父の脳裏を何度襲ったことでしょうか。

病気と悩みのなかにあった彼は、大きな危機にあるときのイグナチオの勧めを黙想したかもしれません。つまり、「心が乾ききっているようなときには、すでに決定してあることを変えてはならない。むしろ、心にうるおいがある状態でとった決断と決定に確固として踏みとどまることである……。」ということを。

ベネヴェッロに来て1カ月あまりすぎたころ、熱が少しずつ下がりはじめると、彼は鉛筆で聖パウロ会の会憲を書きはじめました。

外出が認められるようになると、アルベリオーネ神父は短時間アルバの少年たちを訪問しました。

ベネベッロの景色
ベネベッロの景色

よい治療、ベネヴェッロの気候、ブロヴィア神父の世話、これらが彼の回復を助けました。完治したとはいえませんでしたが、9月にはアルバに戻ることができました。
 そして、何よりも聖パウロの取り次ぎによるものと彼は言っていました。

医師たちの宣告の期限は10年延長されました。クリスマスのミサ中に彼が気を失って倒れたときは再発かと恐れられましたが、その心配はいっときだけで終わりました。

彼は、以前よりも元気になった、というのが真実でした。

この時期、アルベリオーネ神父は、将来パウロ家族の霊的指針ともなる不思議な霊的体験をしたのでした。

◆2--7 豊かな恵みの富


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