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新世紀ルーツへの巡礼

目次

使徒の女王大聖堂

3) 使徒の女王大聖堂を訪ねて

「使徒の女王大聖堂」は、聖母マリアが特別の保護によって、戦争の災害からパウロ家族を守ってくださったことに感謝するために建てられたものです。
 同時に、パウロ家族が「使徒の女王」であるマリアにささげられ、使徒の女王マリアがパウロ家族の中心にとどまられようにとのアルベリオーネ神父のあつい願いによるものでもあります。

聖パウロ女子修道会側から見て
聖パウロ女子修道会側から見て

聖パウロ会側から見て
      聖パウロ会側から見て

使徒の女王大聖堂は、聖パウロ女子修道会側に、使徒の女王大聖堂の入り口が、聖パウロ修道会側に、ソットクリプタ(地下聖堂下)の入り口と、階段を上っていくクリプタ(地下聖堂)の入り口があります。全体的に使徒の女王大聖堂は、3階建てになっています。

その全体の高さは、109.574メートル、大聖堂の床から十字架までは81.1メートルです。

使徒の女王大聖堂は、1947年~1951年の4年という歳月の中、労働と犠牲のもとに、少しずつ建設され、1951年12月25日にようやくクリプタ(地下聖堂)の最初の祝別式が行われました。
 クリスマスの前夜11時からパウロ家族メンバーはクリプタに集まって、1時間の聖体礼拝を行い、その後続いて荘厳なミサをささげました。

その祭壇は仮のものでした。正式の落成式は1952年1月27日、「聖パウロの回心」の祝日後の日曜日でした。
 8月20日のパウロ家族の創立記念日に、ツゥラリア司教が新しい白い大理石で作られた祭壇を祝別しました。

1954年11月30日に、クニアイ司教が一番上の聖堂を聖別しました。式は諸聖人の連願ではじまり、聖堂の壁面の祝福、祭壇の聖別が執り行われました。

アルベリオーネ神父は、「今日、ここに願が解かれました。マリアよ、あなたにこのつつましい聖堂を奉献いたします。この聖堂の一つひとつのレンガを、あなたの息子、娘たち、協力者たちの犠牲の実りとしてささげます。私たちは非常に喜びに満ちています。……すでにあなたのものですが、これらをあなたに奉献いたします。あなたは、設計士、芸術家、労働者を照らし、励まし、少しずつこの日がくるまでに準備してくださいました」と祈っています。

献堂の祝いは10日間も続きました。この間、聖堂では毎日アルベリオーネ神父の黙想によってはじまる特別の典礼、祈りがささげられました。パウロ家族メンバーはみな、マリアに奉献されました。

こうして、アルバにある聖パウロ聖堂、師キリストにささげられた聖堂ににつづくこの使徒の女王大聖堂で、使徒の女王マリアがパウロ家族の中心にとどまられるようにとのアルベリオーネ神父の願いが実現されたのです。

1954年12月5日、正式に大聖堂の落成式が行われ、15人の聖パウロ会会員がここで司祭叙階の恵みをいただきました。その後RAI(イタリア放送協会)によるコンサートが催されました。

この大聖堂はたしかに願を立てたアルベリオーネ神父の答えでもありましたが、また初期のパオリーニ(聖パウロ会会員)たちが、師イエス・キリスト、使徒聖パウロにつづき使徒の女王にささげる教会として望まれたものでもありました。

アルベリオーネ神父は、「まだまだたくさんのことが不足しています。聖師イエスの祭壇、聖パウロの祭壇……正面の壁画も完成されなければなりません」と述べ、大聖堂の目的についていくつかの指針を出しました。
つまり、それは、この大聖堂が、
・聖体とマリア信心の中心であること
・すべての召命のため、教会、協力者、私たちのすべての必要のため、教皇の意向のために永久礼拝をささげる場であること
などです。

使徒の女王聖堂トップ 鐘楼

1959年には、この聖堂の鐘楼が祝別されました。そこから流れる曲は聖母への祈りに招くものです。ここには、アルベリオーネ神父の像とパウロ家族の使徒職、出版、映画、ラジオ、テレビなどが刻まれ、また、その当時パウロ家族が存在していた世界の国の名前が刻まれています。

脇祭壇の一つは、この年がローマにパウロが来てから1900年記念祭にあたるため、それを記念して造られました。1961年に、ララオーナ枢機卿により、祝別されました。
 もう一つは聖師イエス・キリストにささげられています。
 これらの祭壇は主祭壇との調和を考え、シンプルに、しかし、パウロ家族の信心がもりこまれています。

次回は、イメージで聖堂内部をたどってみたいと思います。

◆5--4 使徒の女王大聖堂


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