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新世紀ルーツへの巡礼

目次

第二次世界大戦

7) 全員、自分たちの場を離れずに

聖パウロ像を囲んでアルゼンチンのシスターたち
聖パウロ像を囲んで

●世界大戦のさなか、アルベリオーネ神父は「自分たちの場にとどまりなさい」との指示を世界中のパウロ家族メンバーに出していました。ほとんどの会員にはアルベリオーネ神父のこの指示が届きましたが、すでに総本院との連絡が絶たれたいた会員たちはこれを受け取ることができませんでした。

●みな、自分のいる場で……。開戦状態に最初に入った国、ポーランドにいたタルチジオ・ラヴィーナ神父は、自分のもち場にとどまったために逮捕され、占領共産軍からいわゆる「再教育」を受けさせられました。

●インドでは、イギリス統治下の時期に、イタリアが参戦したためにスパイの嫌疑でアルフォンソ・フェッレーロ神父が逮捕され、ルッフォーリ修道士もボンベイの刑務所に送られ、「敵国人」として抑留されました。
 中国では地下生活をしていたものの、訴えられ追放されました。

日本でも、イタリアとの同盟が切れたときに、イタリア人のパウロ会員はスパイ容疑で逮捕され、留置されました。
 世界各国のいろいろの状況は、語りつくせません。

これらここにあげたものは、パウロ家族メンバーが、世界大戦という世紀の大きな出来事、「鞭(むち)」とも「難」とも言える世界の変動をどのように受け、耐えたかについての、ほんの一例にすぎません。

パウロ家族のメンバーは、これらの出来事をとおして、迫害された使徒パウロを自らの近くに、身体的にも身近に感じたことでしょう。

しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。
(II コリント 11.26~27)

パウロの息子や娘たちは、父パウロがコリントの信徒たちに列挙している試練を思い出しています。パウロは、どれほど彼らにとって力となったことでしょう。「パウロがいつも助けであった」とのアルベリオーネ神父の言葉が思い出されます。

シスターテクラは、「私にとって大きな刺激となったのは、姉妹たちが聖パウロをとても愛していることです。私たち以上に、です!」と、戦後に訪問した地からの手紙でつづっています。

確かにパウロは、パウロ家族メンバーにとって、困難な中にも「父」であり、「師」であり、彼らはパウロから養われ、彼から精神を汲み、導かれ、助けられたのです。

1942 年8月、アルゼンチンの責任者にシスターテクラは「このごろはお互いのニュースが早くわからないので、つらいことです。神様のみ旨が行われますように。ブラジルからは一年ぶりでニュースがありました……」と書いていますが、この時期にアルベリオーネ神父もシスターテクラも、どれほど各地に散在しているメンバーのことを心配し、主キリストに、聖母マリアに、パウロに祈っていたことでしょうか。

戦後、男子会員も女子会員も再び姿を現したのを見るのは、実に奇跡とも言えるほどのことでした。

本部修道院には、手紙、ラジオ、ローマにやってくる人たちによって、会員たちがこの時期をどのようにして生きのびたのか、乗り越えたかということが、世界各国から届けられました。

パウロ家族のメンバーたちは、さまざまの出来事を自らの心に抱きながら、アルベリオーネ神父の教えのとおり、父パウロに倣って「前に向かって身を乗り出し」ていく、「感謝しつつキリストのうちに生きる、目標をめがけてたえず前進していく……」のでした。

ジャッカルド神父

終戦の前の年、1944年10月19日、ジャッカルド神父は、司祭叙階25周年を迎えました。 パウロ家族メンバーは、慎ましいながら心をこめ、暖かい雰囲気の中で家族をあげて祝いました。その時に、ジャッカルド神父は次のような感謝の言葉を述べています。

……神様が計り知れないいつくしみをもって私を迎え入れてくださることをひしひしと感じます。……私は、司祭になってよかった、といつも思っています。

 私を愛し、司祭としてくださった神様に感謝いたします。プリモ・マエストロ(アルベリオーネ神父)に感謝します。私の司祭職は、プリモ・マエストロの司祭職のあとを影のように歩んでいます。彼は、私を迎え入れ、経済面からも援助してくださり、司祭職への許可も与えてくださったのです。

 あなた方に感謝します。あなた方の多くは幼いころに私を迎え入れ、……そろそろ司祭になってもよいという認可の責任をプリモ・マエストロと分かち合ってくれました。また、私がマエストロ(先生)と言われて、司祭としても、父としても尊敬されたことについて、あなた方に感謝すると同時に、私の権限に従順してくださったことについても、私の司祭としての、父としての愛に応えて快く耳を貸してくださったことについても感謝いたします。

 私たちは今、司祭叙階の銀祝を祝っていますが、一人のための銀祝ではなく、本会の銀祝を祝いましょう。これは銀祝の序章であり、今日に続いて、数年後には多くの銀祝が行われることでしょう。
……皆さん、ご一緒に感謝の賛歌を歌ってこの日を締めくくり、いつまでも感謝の絶えない“永遠の日”のはじまりにいたしましょう。

◆6--1 第二次世界大戦


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