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新世紀ルーツへの巡礼

目次

最後の奉献

2) シスターテクラ・メルロの再度の発作

アルバーノの病院で
アルバーノの病院で

1963年6月3日、教皇ヨハネ23世が死去され、21日に、ジョヴァンニ・バッティスタ・モンティーニが後継教皇に選出され、パウロ6世の称号を取られました。

このような教会の大きな出来事があった同じ6月にシスターテクラ・メルロは、脳の発作に襲われました。

その日のことを看護師はこう証言しています。

6月16日の朝、シスターテクラ・メルロは、少し気分がすぐれないごようすでした。しかし、その日の仕事のプログラムは変わりませんでした。アリッチャで年の黙想をしていた修練女たち一人ひとりに面接をすることと、彼女たちを修道女として受け入れるかどうかを決めるための顧問会を開くことでした。
顧問会のあいだ、顧問たちはシスターテクラ・メルロが気分がよくないということに気づきました。まるで舌がふくれたかのように発音は困難になり、ときどきその場の話に関係のない言葉を繰り返されました。
脳性の痙攣(けいれん)でした。午後の10時ごろ病気は重大さをおび、「病者の塗油」を授けることになりました。
その準備をしているあいだに、苦しげなうめきとともに意識不明となりました。顔はまっさおで、のどはぜいぜいと鳴りはじめました。顧問たちはことの急なのに驚き、もうほどこすすべもないと思ったということでした。
しかし、夜半をすぎ、3時ごろ、容態はいくらかよくなり、朝の5時ごろにはシスターテクラ・メルロは目を開け、私に、「ここでなにをしているの?」と聞かれました。
私はこの愛する声を、もう一度聞けるとは思われませんでしたので、とても感激しました。
幾日かたって病はほとんど峠を越えました。衰弱はひどく、もう以前のような活動は許されません。活動をしないことにシスターテクラ・メルロは慣れておられなかったので、苦しいことでした。しかし、医者や看護師から定められた時間割どうり、すべてに温順に従順されました。彼女は、すべてに神のみ手を見ることに慣れておられたのだと思います。
8月、9月には、シスターたちの中に姿を見せることができました。
11月20日、病気が再発しました。第二の発作は彼女の生涯のもっとも苦しい時期をもたらしました。病気の再発は、彼女から、話すこと、自分の考えを伝える可能性をとり去ったのです。
話すことができなくなったとわかったとき、彼女は泣かれました。頭はまだはっきり働いていても、それを言葉で表現することができませんでした。書くことさえも……。
この現実を彼女は、父なる神に、心からの愛をこめて受諾の意志をあらわされました。
彼女の死は、どんどん近づいてきたと感じられました。

このような状況の中、12月4日、パウロ家族にとって最上の喜びの日、『Inter Mirifica(広報機関に関する教令)』の発布のニュースを、彼女はアルバーノの病院のベットの上に受け取りました。アルベリオーネ神父を神のみ旨を告げる方として信じ、従順してきた彼女にとって、このニュースがもたらしてくれてた感激はひとしおであったと言えます。

◆10-2 最後の奉献


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