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新世紀ルーツへの巡礼

目次

最後の奉献

5)パウロ6世、アルバーノのクリニックを訪問

カステルガンドルフォ
カステルガンドルフォ

1963年8月22日、教皇パウロ6世は避暑地カステルガンドルフォからアルバーノのクリニックを訪問されました。彼が教皇に選出されてから最初のころの訪問の一つです。教皇としてパウロ家族の修道会を訪問されたのは、はじめてのことです。


パウロ6世を迎える

パウロ6世のアルバーノの訪問
パウロ6世のアルバーノの訪問

パウロ6世はクリニックに入院していたシスターテクラ・メルロの苦しみと彼女の主治医に敬意を表したいと望まれたということです。

教皇は、クリニックに入院していたいろいろの修道会のシスターたち約200人と共に、聖堂でミサをささげられました。

彼は、「私は別荘の近くにあるいろいろの所を訪問したいと思っていますが、最初にここを選んだことをだれもうらやまないでしょう。ここは、苦しみと苦しみを和らげる手当ということがあるからです」とのあいさつを述べられました。

パウロ6世は、「……かつてあなた方は毎日を貴重なものとするために活動にエネルギーを注ぐことを考えてきたでしょう。その活動の期間よりも、おそらく、人間的に見れば無為と思えるこの期間こそ、いっそう貴重なものになり得るのです」と述べられました。この言葉は、シスターテクラ・メルロにとって非常に深く心響くものがありました。

シスターテクラ・メルロは、彼女のノートにつぎのように記しています。
「8月22日、マリアのいと清きみ心の祝日。アルバーノの聖堂で教皇聖下のミサ。聖マリアに、彼女の謙遜と、イエスと教会に対する彼女の愛を求める。」

シスターテクラ・メルロには、心にかかっていることがありました。それは、肺結核にかかってイタリアのあちこちの療養所に入っている会員たちのことでした。

1946年12月8日の総顧問会の議事録には、「アルバノに病人の家を作ること……このために、全力を集中すること」とあります。この家の建築は1947年に着工し、短期間で完成されました。この新しい家には、聖パウロ女子修道会の会員だけでなく、一般の病院で十分な看護、ことに霊的な援助を受けられない観想修道会のシスターたちをも収容することができました。ここで病人のシスターたちは、信仰をもって苦しみを使徒職に変え、出版使徒職のためささげることを学んだのでした。

建築中のアルバーノ
建築中のアルバーノ

20年を経てアルバーノの病院は新しい棟と聖堂の建築中でしたが、シスターテクラ・メルロの病気と死の記録には、この新しい棟と聖堂の建築工事を注意深く見守っていたことが記されています。

彼女は、自分の病室のベランダから現場の仕事を見ていました。そしてある日の夕方には、建築中の建物の方に行きながら「あの壁に聖水をまきに行きましょう」と言い、建築される家に神の祝福を求めていました。

シスターテクラ・メルロのこの病院での終わりの日々の生活は、彼女の最初のころ「どんな仕事でも心をこめて果たすなら必ず効果があります」と言っていたことを思い出させるものでした。
それは、アルベリオーネ神父やキエザ神父が何回となく話していたことでした。

「もし生きていたなら……、たとえどんなつつましい任務であろうと、……出版使徒職に全力をささげたい」というシスターテクラ・メルロの言葉は、修道会のはじめのころの1918年、「スペイン風邪」で亡くなったシスタークレリア・カッリアーノのベッドのそばで、シスターテクラ・メルロと初期の会員たちが祈りながら願った言葉であり、いまそれに彼女は「苦しみにおいてでも」とつけ加えたのでした。

アルベリオーネ神父の個人のカリスマとして、アルベリオーネ神父の協力者でもあったシスターテクラ・メルロによって建てられたアルバーノのこの療養の家は、予見しなかった、予見しえなかった複雑な発展を遂げ、1972年、地域の総合病院としての働きをはじめ、現在は修道会の使徒職として継続するか否かの識別のプロセスに入っています。

◆10-2 最後の奉献


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