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新世紀ルーツへの巡礼

目次

神への旅

1)シスターテクラ・メルロの神への旅

シスターナザレーナと共に
シスターナザレーナと共に

1948年1月24日、アルベリオーネ神父が「忠実な息子の中でも最も忠実な息子」と見なしていたジャッカルド神父がいのちをささげ、御父のみもとに召されていきました。この度は、シスターテクラ・メルロです。

1964年2月5日、シスターテクラ・メルロは息を引き取りました。アルベリオーネ神父は、彼女の死に対し、深い悲しみに打ちひしがれました。アルベリオーネ神父は、シスターテクラ・メルロの死に際して涙を隠そうとはしませんでした。

シスターテクラ・メルロの最後の歩みをご紹介しましょう。

1963年11月、第2、第3の発作が起こり、この時点で外国にいる管区長たちに知らせが行き、彼女たちは直ちにローマに集まりました。

この時点で、シスターテクラ・メルロはこう書き記しています。 「主よ、全てにおいて、いつもあなたのみ旨を、あなたへの従順を望みます」と。

「あらゆることに、神のみ旨」、これはシスターテクラ・メルロのつらぬいてきた精神です。11月22日の2度目の発作が起きたときに、彼女は霊的日誌にこう書き記しています。

主よ、どんなことにも、どんなときにもあなたのご意志を行いたいのです。あらゆることに、いつもあなたへの従順を行いたいのです。私の天使、私を助けてください。

そのときのことをシスターナザレナ・モランドは、思い出しながらこう言っています。

[quote]書けないものかと、何度も試しておられました。しかし、何回も繰り返してから、ペンと紙を置き、首を振りながら目に涙をためておられ、もう何もできることはない、というしぐさをなさいました。しかし、それでも神のみ旨を受け入れておられました。[/quote]

シスターテクラ・メルロからもう言葉は出てきませんでした。彼女にとってのもう一つの苦しい放棄は、自分だけでは祈りを唱えられないということでした。シスターナザレナが祈りの本から何行かを唱えていました。

[quote]シスターテクラ・メルロは、私を見てほほえんで感謝を示し、ご自分のうちに退いて心を集中しておられました。……ときにいくらか具合がよいと、ナースたちが短時間なら聖堂を訪問してよいというので、私が一緒に行ったこともあります。しばらくして、疲れるのではないかと思い呼びかけると、ロザリオがまだ終わっていないというのを見せて、もうちょっといさせて欲しいというような、嘆願のまなざしで私を見つめるのでした。そして、出てくるときには前以上に穏やかにうれしそうでした。[/quote]

シスターテクラ・メルロは、29日から聖母に9日間の祈りをはじめました。3日目には、病態はややよくなり、マリアへの祈りを唱えることができました。彼女は、喜びと感謝の涙を流していました。

病院にある聖堂に行って祈りたいようでしたが、それはままならぬことでした。

1月には新築された「守護の天使」病棟に移り、感謝していましたが、残された力はわずかでそこにはほんのわずかしかいることができませんでした。

シスターテクラ・メルロは、感謝の心で死に近づいたといえます。彼女の主治医はこう証言しています。

シスターテクラ・メルロは、よく「神に感謝します」と繰り返しておられました。たえず神に感謝するというのは意味深いことです。「神に感謝」、これはたった二つの言葉ですが、長い演説よりもたくさんのことをあらわします。 それで私は、もうひとりの人物、アシジの聖フランシスコを思い出しました。彼は「太陽の賛歌」の中で、つくられた全てのもののため、死のためにさえ神を賛美し、死を姉妹と呼んだのでした。シスターテクラ・メルロは、かならず死のためにも感謝しておられました。

シスターテクラ・メルロにとって、死は「私を待っている美しい天国」の門であったのです。ある病気のシスターに、「勇気を出して忍耐なさい。美しい天国で私たちはいつも、いつまでも喜ぶでしょう」と言っていました。

クリニック付きのパウロ会司祭、ドラゴーネ神父は次のように言っています。

最後の病気中、シスターテクラ・メルロの霊的おせわをしてあげられたことは私にとってはかりしれない特権だったと思います。あれほどキリストの姿が映し出されている魂の内部を見ることが許されたのですから。
シスターテクラ・メルロは、全てを打ちあけて何も秘密にされなかったので、心の底まで読むことができました。そこにはなんという恵みの富があったことでしょう!
シスターテクラ・メルロは、病の時期を非常に尊いものとなさいました。
病気中、シスターテクラ・メルロの表情はこのうえなくやさしいものになりました。顔には新しい光が、まなざしには新しいやさしさが、心には新しい愛情が宿ったかのように。
神のみ手に全てをゆだね、そのみ心にかなうことのみを求め、落ち着いて、柔和に召されることを待つ ― そのシスターテクラ・メルロの心から、神に召されることを待つ ― そのシスターテクラ・メルロの心から、神に受け入れられた苦しみの賛歌がのぼっていきました。かくも穏やかなほほえみには、彼女の力であった寛大な忍耐が輝いていました。

また彼は、「シスターテクラ・メルロは、償いの教師だった。教会が教える償いの手段を彼女は全て利用なさった」とも言っています。

シスターテクラ・メルロは、「生きている祈り」と化していました。ほとんどいつも手にロザリオを持ち、たびたび十字架にせっぷんしていました。そしてだれかに「いかがですか」と尋ねられると、決まって「イエスのお望みのとおりです。神様の手のうちにいます」と答えるのでした。

マンチーニ司教は、こう言っています。「祈りの最高段階に至ってのち、シスターテクラ・メルロは苦しみの尊さに到達なさった。くちびるの祈りをささげてから、血の祈りをささげる……。彼女は母としてくちびるの祈りとともに自分の苦しみという祈りをもおささげになりました。」

死に近づきつつ、シスターテクラ・メルロは3年前にした「いのちの奉献」を新たにしました。
このささげによって、シスターテクラ・メルロは神への旅路の終点に来たと言えます。

◆10-3 神への旅


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