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新世紀ルーツへの巡礼

目次

 神への旅

 シスターテクラ・メルロについて述べる証言2:司教たちの証言

司教さま

シスターテクラ・メルロの葬儀に参列された方たちの、愛のこもった追悼の言葉をご紹介しましょう。

 リチャード・ジェームス・クッシング枢機卿(ボストン)

聖パウロ女子修道会のみなさん、今、私はあなたがたにわずかな言葉しか言おうとは思いません。あなたがたのプリマ・マエストラ・テクラ(シスターテクラ・メルロ)は、私のほめ言葉を必要とされないからです。

人が神に身をささげる一番すぐれた形は、観想と活動をひとつにする生き方です。あなたがたの修道会はこの奉献に生きる形をとっていて、そして実際にマエストラ・テクラはそれを生きぬかれました。

彼女の名はテクラでした。
聖女テクラは、聖パウロの協力者で、聖パウロの使徒的普遍的活動と固く結ばれて歴史に残っています。この最初のテクラがしたように、マエストラ・テクラも観想と活動を合わせた生活を現しておられました。それは、私同様、彼女をよく知っていたあなたがたも感じていたことでしょう。
神とのたえざる一致のうちに生きながら、同時に人びとの魂の善をめざして教会の種々の使徒職に協力するために活動的でした。私としては、彼女がすぐれた女性、超自然的女性、つまり、聖人である、と疑いません……。

マエストラ・テクラがあなたがたに残した教訓はこれです。活動生活に観想を合わせること。あなたがたの使徒活動は、あなたがたの内的生活と祈り、犠牲、観想で支えられています。つまりあなたがたの神との親しさの外的現れでなければなりません。

 ラファエル・マカリオ司教(アルバーノ)

数年前、マエストラ・テクラが手術のためアルバーノの診療所に入院されたと聞いて、見舞いに行きました。穏やかなようすで他の病気のシスターたちとなんの差別もなく休んでおられました。彼女の態度からは全く病気の苦しみが見えず、顔には精神の平安が反映していました。手術後もう1度訪問しましたが、同じように平和な顔と神のみ心との一致を現すほほえみを見ました。静かにロザリオをつまぐり、苦しみながらそれをささげておられました。

後に再び旅行を開始して、アジアに行かれたと聞きました。

最後の病気のときも、見舞いましたが、やはり同じ態度……、柔和で、静かで、キリストとのふれあいをありありと感じさせる態度でした。しかし、このたびはマエストラ・テクラは話せませんでした。

この女性の穏やかさ! この総長の穏やかさと平安! 生涯彼女はわずかに必要なことだけを静かな声で話しましたが、それは神に心をひそめる人の特長です。この女性は、確かに主との出会いを反映していました。まことに彼女は観想的な人でした。活動から離れることのない観想!

 アルカデイオ・ララオーナ枢機卿

私はマエストラ・テクラをよく覚えています。その姿は、その人格をはっきり示していました。彼女においてすべては透明で明るく、なんの極端なところもありませんでした。 彼女は神によって生きていたこと、感嘆すべき方法で観想と活動とを合わせて生きていたことは、だれにでも感じとられました。
なにかを経験した人は、観想の人は、ただ他人から聞いた人の場合とはちがった話し方をするものです。
観想の人は神と直接にふれあい、神とともに生きるので、疑いを残さない話し方で神について語ります。そしてすべてに ― 言葉、声の調子、明るくすみきった表情、つつしみ、自己支配などによって神を反映し、その人の全体から神が見えます。マエストラ・テクラは、ほんとうにこのような観想の人でした。

心に神をいだき、その目は道を照らす二つのあかりのようでした。愛する神を被造物のうちに見いだし、そこに多くの黙想の材料がありました。活動による経験は、彼女に自分が黙想で味わったことを確認させ、それによってまた黙想にもどると、彼女は神についての新しい知識を得ます……。
これほど統一された生活は、なんと美しいものでしょう! これこそ聖パウロ女子修道会の生活です。あなたがたの生活です。本や新聞の発行のために、苦労の絶え間ない生活であっても、平和や穏やかさ、神とのふれあいをなくすなら光がなくなります。 かえって心が神と一致してさえいれば、光と熱と力があります。マエストラ・テクラはあなたがたの母であると同時に模範です。
聖パウロ女子修道会の会員が、もしその名にふさわしくありたいなら、いつでもどこでもすべてにおいて完全なパウロの娘であったマエストラ・テクラを鏡としなければなりません。

聖なる修道者! 聖なる使徒! 聖なる社会的コミュニケーションの使徒!
ともかく、葬儀に列しながら、心から私はあなたがたに、おめでとう、ほんとにおめでとう、といわなければなりません。
あなたがたの母であり模範である方は、天国にいます。そこから彼女はあなたがたにくりかえしています。「私がしたようになさい。そうすればあなたがたも私の受けた報いと同じ報いを受けるでしょう」と。

 ティト・マンチーニ補佐司教(オスチアの)

今、私がながめているすばらしい冠をいただいたこの女性は、普通の労働者の家庭から出ました。謙遜な一女性、謙遜な一シスターが、出版や、映画、ラジオ、テレビなど、文明の利器を駆使して世界を照らそうと思ったことは、ほんとうに感嘆にたえません。彼女は愛をすべての人の心にふれさせるため、思想伝達のあるゆる手段を活用しました。

◆10-3 神への旅


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