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新世紀ルーツへの巡礼

目次

アルベリオーネ神父の晩年

4)変化と刷新の波の中で1

説教する創立者

変化の波

1962年に開催された第2バチカン公会議は、第2次世界大戦後の社会的、経済的、政治的、宗教的変化の進行の中で教会が刷新と適応という広大で複雑な課題の中で繰り広げられ、そこで取り扱われたテーマは、ますます国際的広がりを持ちはじめていたパウロ家族の使命の中に大きな影響を与えるものでした。

社会機構はグローバル化を加速し、19世紀末ごろから人びとが持っていた考え方、生き方、生活習慣の一つの傾向は、深刻な変化を受け、その変化のリズムは加速の中にありました。

この変革の要因として、植民地主義の終結とその解放から異なる文化と価値観をヨーロッパに押し付けようとする第三世界の登場、農業国を工業国に変える敏速で強力な工業化の波、その結果としての市場原理の支配と経済の合理化、そして、マスメディアの現象などがあります。思想的には共産主義の拡張があります。

1950年頃までは、地域文化の要素をヨーロッパの環境に取り入れながら役立てようとする試みが僅かに見られましたが、その後、あらゆるレベルで文化受容のプロセスが進展し、福音宣教のレベルでも顕著に進められていきました。

科学分野の新しい発見と、その迅速な技術への適用の結果、産業は強力な進歩を遂げ、設備の増大により、労働力の必要は減り、その結果、伝統的な幾つかの階級は消滅したのです。

貧しい国と富んだ国、富の集中化と新しい貧困、全世界に出現する巨大都市、宗教から分離された生活、その結果としての世俗化、また1968年の若者たちの蜂起と女性解放運動の進展があります。

この女性解放運動は、1950~1960年に急速に進展し、文化と労働の世界で新しい場を獲得していきます。
教会の中でも、1965年から神学生と聖職者だけに限定されていた教皇庁立大学は女性も入学できるようになりました。その結果、神学の準備を完了した後に、教会生活の中で、また、司牧の中で、女性にも新しい奉仕の場が開かれるようになりました。

コミュニケーションに関しては、工業化現象、都市化現象に加えてマスメディア現象、社会化の現象が出現します。
音と画像の縮小化、TV、情報化とコンピュータがすでに1950年代には登場していましたが、それに加え、全世界の世論を動かすもう一つのこと、宇宙空間の克服が起こりました。 世俗的観点、宗教的観点、技術万能の視点、地球村という視点があり、1968年以来、このような前提の上に、ライフスタイル、政治、宗教に変革が表れました。

教会は、新しい自覚をもってマスメディア現象に対応します。
公会議に発布された『広報機関に関する教令』(1963年)や司牧書簡『コミュニケーションと進歩』(1971年)などは、地球村の新しい形のコミュニケーションについて、深められてきた考察が生み出した文書です。

これらを経て、『福音宣教』(1975年)が出されます。パウロ6世は、その中で、「予備宣教、カテケージス、信仰を深める歩みには、社会的コミュニケーションの手段が必要である」と明言しています。

教会が第2バチカン公会議を準備している時に、神学と司牧の歩みの中で、対立や不和が見られました。それまでふつふつとしていたものが表に現れたと言えるでしょう。

開放的な地域とその考えとバチカンを中心とするローマとの間にみられるある種の反発や緊張感や新しさを感じさせる表現に対して、警戒する姿勢が現れ、その高まりの中で行われた第2バチカン公会議でした。この公会議は1965年12月8日に終了しました。全教会が公会議の精神を汲み、理解し、浸透するまでにはその後たくさんの時間がかかります。

この公会議は、教会が果たした改革の中で、最も広範におよび、独創性に富んだ出来事、教会全体におよんだ出来事と言えます。公会議に出席した司教や専門家たちが公会議文書の編纂にあたり、豊かな伝統と神学、そして文化の声を文書の中に盛り込むことができたと言えます。

人類の大部分におよぶ貧困、宗教の自由、人間の基本的人権、キリスト者の一致、信仰と文化の関係、社会的コミュニケーション・メディア、修道生活の刷新についてなどの広範囲にわたったテーマをこの公会議は取り扱いました。

◆10-4 アルベリオーネ神父の晩年


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