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新世紀ルーツへの巡礼

目次

アルベリオーネ神父の晩年

5)変化と刷新の波の中で2

説教する創立者

変革の中でのパウロ家族の歩み

時代の変革のプロセスはパウロ家族にどのような影響を与えたのでしょうか。

公会議が出したさまざまな文書は、パウロ家族にとり、それまで歩んできた創立者の霊的、使徒的インスピレーションを確認するものでもありました。
ことに人間全体について扱い、同時に主であり師であり、人間の歴史の鍵、中心、目的をキリストのうちに見いだすとうたった『現代世界憲章』、ことに福音宣教の手段と形についてなど。全世界のメンバーはそれぞれの地方教会の中で、または修道院の中で公会議の文書を学ぶ努力をしています。

公会議はまた修道生活の刷新と適応について求めました。ことに、各修道会の会憲を現代世界の要求に適応する必要を強調しています。

公会議は、刷新のための規範を提示し、修道会が自己の会憲、指導書、祈祷書を公会議文書に照らして合わせて見直すよう勧めました。

この教会の指導に基づき、1967年から刷新と適応のプロセスがはじめられたのです。この動きは、奉献生活に新しい姿をも与えたのです。

それでは、この歩みにアルベリオーネ神父はどのような姿勢で臨んだのでしょうか。

変革を続ける世界の中に誕生した修道会というものの、アルベリオーネ神父はそのカリスマに沿って、もう一度現代性を受け容れ、それに忠実に生きています。自分が生きている時代を生きることこそパウロ家族の召命であるからです。

◆私たちはほんとうにパウロの精神を持っているだろうか。パウロの精神とはどのようなものであろうか。

パウロは聖師を差し示す人である。つまり、彼の福音を深く黙想し、それを世界に、時代の必要に、種々の国々の必要に適応させた。説教者が聴き手によって言葉を換えるように、福音に適応させた。

適応の仕方は、子どもたち、親たち、農民たち、労働者たち、シスターたちによって異なる。
私たちも同じように、私たちが生きている現代に福音を適応させ、イエス・キリストの考えや教えを伝達することのできる手段として進歩が私たちに提供する手段をもって、現代世界に福音を与えなければならない。これは、私たちが現代に生きるということであり、世にイエス・キリストの実在性を感じさせるという意味である。

◆私たちは近代社会の中にあって働かねばならないのだから、その社会をありのまま受け取り、現実の状況を考慮しながら、使徒職によく備える必要がある。

私たちは編集においても、普及においても、さまざまの傾向に適応する必要がある。世界は、もし私たちが世界とコミュニケートするための現代手段を用いるなら、私たちを理解してくれるだろう。だから私たちは、いつもこのようにしてきたのだと考えたり、言ってはいけない。時が進むとともに、私たちは私たちの生きている時代の条件に適応しなければならない。

◆聖書は、ある時代、ある世紀にのみふさわしいものだと考えてはならない。聖書は常に現代的であり、かつ教会は常に若い。

主は、あなたがたの修道会に多くの祝福をお与えになった。今後も人数と使徒的活動は増加し、各国に広がっていくだろう。どこへ行こうともそこに順応しなさい。救いを待っている20億2千万人が感じられるように。

刷新の歩みの中でのアルベリオーネ神父の指導の路線は、教会への忠実、そして同時に、彼が注意を注ぎつづける今日への忠実、人間への忠実でした。

彼は、それまでもそうであったように、「今日」に対する信頼と、「源泉」にとどまる必要を強調しています。

コスタ枢機卿は、「時代について、現実的で、感じやすい心と私たちの人びとへの務めを感じる心を養わなければなりません。……」と言っておられますが、その言葉を引用しながらアルベリオーネ神父は、「勇気を持って現実を見ましょう。私たちの周りにある小さな世界を越えて見ましょう。そうすると、メンタリティーと方法の根源的な変革の緊急な必要が見えてきます。これを見ないならば、数年後には、『いのちの師』の周りは砂漠になっているでしょう。そして、『いのち』は、死んだ枝、無益な邪魔者のように私たちを切り捨ててしまうでしょう」と言っています。

刷新という言葉は、修道会の精神に反する改革ではないかとの怖れを感じさせることがあります。しかし、刷新は、創立者たちの精神全体と、会憲の規則の原理を再生させることであり、同時に、今日に適応し、今日の必要と状況を考えに入れなければならないのです。

この刷新の歩みが、パウロ家族の新しい発展と、同時に新しく生まれる問題点の背景となっていきます。

それでは、この歩みは聖パウロ女子修道会ではどのような歩みとなるのでしょうか。 共同創立者シスターテクラ・メルロの死と創立者の死、会憲が総会によって受け入れられた1984年までを、「変化の20年間と公会議の刷新」と呼ぶことができます。

◆10-4 アルベリオーネ神父の晩年


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