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教会カレンダー

C年 待降節第2主日

第1朗読 バルク書 5章1~9節

第2朗読 フィリピの信徒への手紙 1章4~6、8~11節

福音朗読 ルカによる福音書 3章1~6節


イエスとヨハネ

待降節第1主日では、終末の時に来られるキリストを記念し、救い主を待ち望む思いを新たにしました。

待降節第2週、第3週では、救い主を長いこと待ち望んだ旧約時代(キリスト誕生以前の時代)をあわせて思い起こし、それにあやかろうとします。そこで、キリストの到来を直接準備した旧約最後の人物として洗礼者ヨハネが登場します。

荒野のかなたから「主の道を整えよ」と回心を呼びかける洗礼者ヨハネは、待降節にもっともふさわしい人物と言えます。

今日も、洗礼者ヨハネは暗闇の中にさまよっている人々や、キリストの誕生を待ち望む人々に、回心を促します。

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今日第1朗読で読まれるバルク書は、第2正典に属します。バルクは預言者エレミアの書記官(秘書)をしていたと言われています。バルク書は預言者バルクが記した言葉という形式をとっていますが、実際は紀元前2~1世紀ごろのいくつかの伝承を、エルサレム陥落後の記念祭儀を行う朗読として、70年以降にまとめられたものと言われています。

今日読まれる5章は、バビロン捕囚という暗闇の中にいて苦しんでいる民に、やがて訪れようとしている救いを告げ、慰めと希望を与え、エルサレム帰還の準備をさせます。

「エルサレムよ」と語りかけるこのエルサレムは、イスラエルの民にとってユダヤの首都としてのエルサレムを意味していましたが、キリスト者にとっては、パウロがいう「上のエルサレム」、ヨハネの黙示録が語る「天のエルサレム」、「新しいエルサレム」を意味します。

人生の旅の最終目的であるエルサレム、この目的に向かって「旅する教会」は旅を続けて行きます。

この旅にあって、ほかならぬ神ご自身が人々をご自分の方に引き寄せてくださるため、神の方から救いに来てくださるのです。

第2 のエジプト脱出と呼ばれるエルサレムへの帰還は、第1の場合同様、神ご自身が光となって導いてくださいます。神の偉大な業の描写を語る今日の朗読ですが、この神の救いを待ち望んだ民から、待つことの深い意味を学び、待つことをとおして神の恵みを味わい、応える時について祈ってはいかがでしょうか。

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第2朗読では、使徒パウロが書いた「フィリピの信徒への手紙」が読まれます。

フィリピの教会はパウロがヨーロッパに設立した最初の教会で、マケドニアのフィリピ2世にちなんでその名が付けられたと言われています。

パウロはフィリピの信徒を特別に心にかけました。このことについては使徒言行録を読まれるといいでしょう。

彼は、獄中でこの手紙を書き、フィリピの信徒の愛と知識がますます豊かになるように、人々の中にはじまった神のわざが完成されるように、キリストの日まで、つまりキリストの来臨の日まで清く生きるようにと励ましています。

パウロの祈りを、今日の私たちの教会のための祈りと受け取り、彼の祈りに私たちの祈りを添えて祈ってみてはいかがですか。

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今日の福音は、ルカ福音の洗礼者ヨハネの宣教のはじめです。

ルカも他の福音史家同様、洗礼者ヨハネの登場をイザヤ預言書40章の成就と見ており、イザヤ40章を引用することで、イエスの宣教の記述をはじめています。

「皇帝ティベリウスの治世の第十五年」と、ローマ皇帝の名ではじめるルカは、他の福音史家よりも視野が広く、世界的なものになっています。またイザヤ書の引用も「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」まで引用していることから、ルカの大切にしているテーマが伺いしれます。

すべての人の救いを願う神のご計画は、神ご自身の働きかけにより、荒れ野にいる洗礼者ヨハネに神の言葉が下り、イエス・キリストに向かってすすめられていきます。

洗礼者ヨハネこそ、「主の道を整え、その道筋をまっすぐに」しながら道を開く人、「曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らに」しながら道を築く人として提示されます。

この「道」は、神と人とを結ぶ「心の道」です。預言者をとおして語られた神の言葉が開く道なのです。

「荒れ野に叫ぶ声」。荒れ野は、バビロンとエルサレムの間に横たわる広大な地域です。ユダヤの人びとにとり、荒れ野は、故郷エルサレムから遠く隔てられている場、越えることのできない障害です。この荒れ野があるかぎり、エルサレムへの帰還は難しく、人々の心を絶望的なものにしています。しかし、荒れ野に叫ぶ声が、この荒れ野に道が開かれるという喜びと救いを告げています。「曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らにされる」のです。神の導きにより、故郷への道が荒れ野に開かれるのです。

さて、私たちの心の中にある「荒れ野」、そこで聞かせていただく「叫ぶ声」とは、なんでしょうか。

この世界の中ではなんなのでしょうか。

この混沌とした世界の中で、日本の中で、そして私の中で、「喜びの時」が必ず訪れることにあなたは全幅の信頼をかけることができますか。

なんとなくクリスマスを迎えるのではなく、神に対する自分の心のあり方を見つめ、喜びの訪れを確実に聞き取り、待つことを祈る日としたいものです。

祈り

恵み豊かな神よ、
御子を迎えに急ぐわたしたちが、
あなたの力に強められて罪の妨げに打ち勝ち、
キリストに結ばれることができますように。
   集会祈願より

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第1朗読 バルク書 5章1~9節

エルサレムよ、悲しみと不幸の衣を脱ぎ、
神から与えられる栄光で永遠に飾れ。
神から与えられる義の衣を身にまとい、
頭に永遠なる者の栄光の冠をつけよ。

神は天の下のすべての地に
お前の輝きを示される。

お前は神から「義の平和、敬神の栄光」と呼ばれ、
その名は永遠に残る。

エルサレムよ、立ち上がれ、
高い山に立って東の方に目を向けよ。
お前の子らは、神が覚えていてくださったことを喜び、
西からも東からも
聖なる者の言葉によって集められる。

お前の子らは敵に追い立てられ、
徒歩でお前のもとを去ったが、
神は彼らを、玉座につく王のように高く上げ、
栄光のうちにお前のもとに連れ戻される。

すべての高い山、果てしなく続く丘は低くなれ、
谷は埋まって平地になれ、と神は命じられた。
それはイスラエルが神の栄光に包まれ、
安全に歩むため。

森も、香り高いすべての木々も、
神の命令でイスラエルのために木陰をつくる。

神は自らの慈しみと義をもって栄光の輝きを表し、
喜びのうちにイスラエルを導かれる。

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第2朗読 フィリピの信徒への手紙 1章4~6、8~11節

あなたがた一同のために祈る度に、
いつも喜びをもって祈っています。

それは、あなたがたが最初の日から今日まで、
福音にあずかっているからです。

あなたがたの中で善い業を始められた方が、
キリスト・イエスの日までに、
その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。

わたしが、キリスト・イエスの愛の心で、
あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、
神が証ししてくださいます。

わたしは、こう祈ります。
知る力と見抜く力とを身に着けて、
あなたがたの愛がますます豊かになり、
本当に重要なことを見分けられるように。

そして、キリストの日に備えて、清い者、
とがめられるところのない者となり、
イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、
神の栄光と誉れとをたたえることができるように。

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福音朗読 ルカによる福音書 3章1~6節

皇帝ティベリウスの治世の第十五年、
ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、
ヘロデがガリラヤの領主、
その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、
リサニアがアビレネの領主、
アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、
神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。

そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、
罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。

『主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。
谷はすべて埋められ、
山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、
でこぼこの道は平らになり、
人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

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