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新世紀ルーツへの巡礼
広い原っぱへ、基礎固めの時
3)借家から、新しい家へ
1921年8月、聖パウロ会は住居の引っ越しと印刷所の移転を完了しました。1階には印刷機、2階には植字と組み版の機械がおかれ、3階は一部の寝室、台所と食堂、4階は勉強室、聖堂、寝室、5階は司祭と大神学生のための部屋にあてられました。しかし、神学生はまだ少なかったため、教室に利用されていました。
アルベリオーネ神父は、この新しい建物のどこに自分の部屋を選んだのでしょうか。
彼の寝室は、5階の階段を昇りつめたところで、そこはその階にある唯一の洗面所の向かいであったため、一番人通りの激しいところでした。事務室は2階の一番隅で、ドアーをあけるとすぐ階段に出るところです。ここは、庭、印刷所と食堂、聖堂、勉強室の間を行き来する若者たちのグループの靴音が絶え間なく響いていました。その当時の彼らの靴底には、当時の習慣にしたがって金が打ちつけてあったので、どれほどの音かは想像がつきます。また、ほとんど一日中、印刷所の機械のまわる音が聞こえていました。
絶え間ない音や断続的に聞こえてくる音の中で、アルベリオーネ神父は、物を書いたり、指示を与えたり、報告を聞いたりしていました。ずっと後のことですが、ある会議の最中、1人の協力者がこのうるさい音をどうにかやめさせることはできないものかと訴えた時、アルベリオーネ神父は、「これは働いているしるしだよ」と答えられたということでした。
新しい家にいろいろのものが整理された時、なんと、この家が小さすぎたことに気づいたのでした。
倉庫がないために、廊下に積み上げられている紙は、天気の変動の影響をもろに受け、印刷を難しくしていました。印刷された本の山を納める場所もないのです。
また、自習室も足りません。増加し続ける入会申し込み者を前にして、断るか住居を拡張するかの選択にせまられました。彼がとった決定は、1921年12月22日にアルバ市役所に提出した手紙に書かれています。
アルバ市役所 御中、
……私が建てはじめました建築物を、あと30メートル延長する許可をお願いいたします。
延長部分は前と同じ面積、同じ広さで、同じ採光、同じ窓の配置、同じ部屋数にします。
私はただちにはじめたいと望んでおります。この延長部分の位置は、建物の東側、つまり、私と仲間たちとが、本年2月にマルコッティ氏から購入した土地に当たります。テオロゴ・ヤコブ・アルベリオーネ
建築家のプルノット氏は、建物の増築工事にすぐとりかかる心づもりはありましたが、着工の条件として、すでに彼が完成した建築の費用として1万5千リラの支払いを求めたのでした。
しかし、これをどうすればいいのか、これ以上お金を工面する術を持たないジャッカルド神父に頼んでも無駄でした。また、アルベリオーネ神父が、すでに幾度も戸を叩いて協力をしてくれた人々が、またこれだけのお金を出してくれるとは考えられませんでした。
増築工事を延期するわけにもいきません。そこでアルベリオーネ神父は、聖パウロ女子修道会のシスターたちに祈りを依頼しています。
「私が必要としている大切な恵みを求めて、3日間祈ってください。」と。
彼女たちはいつものように、喜んでそれに応じました。しかし、彼女たちには、祈り求めた恵みが与えられたかどうかは知らされませんでした。彼女たちの中で好奇心の強い1人のシスターが、勇気をふるいおこして彼に尋ねると、アルベリオーネ神父はそれに答えてくれました。
アルベリオーネ神父は、家の増築と同時に小聖堂の建築にもとりかかりました。それは、現在の聖パウロ大聖堂のサクリスチア(香部屋)のある位置にあたり、家と同様に窓の多い、非常に単純なスタイルのものでした。
アルベリオーネ神父は、摂理に信頼すると同時に、建築と生活費を最小限度にきりつめる絶え間ない努力をもしていました。できる限り周囲から石を拾い集め、レンガの代わりに使用しました。工事がはじまると、レンガ職人たちが昼食をとっている間に、少年たちは材料を足場の上まで運び、職人たちの時間と労力を節約しようとしていました。
その上、食費を切りつめるため、できる限りの土地を耕して畑にしました。現在の聖パウロ広場は、全部ジャガ芋畑になったほどです。増築工事に当てた土地は、一面の小麦畑であり、収穫を約束するかのように小麦が育っていましたが、それは犠牲にしなければなりませんでした。
新しい小聖堂に行く小道には、砂と小石が積み上げられていましたが、そこもすぐにキャベツにとり囲まれました。このキャベツは、ジャガ芋と一緒に、当時のパオリーニ(「聖パウロの者」という意味で、聖パウロ会会員をこう呼んだ)の食卓を飾りました。
1921 年12月31日に、80人だった聖パウロ会の若者たちは、1922年11月1日には172人に増えていました。そして、その数はますます増加し続けたのでした。そのため、アルベリオーネ神父は、増築中の家が完成する前に、もう1つの建物の建築許可を申請しなければならなくなったのです。
◆2--5 広い原っぱへ、基礎固めの時