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新世紀ルーツへの巡礼
広い原っぱへ、基礎固めの時
5)建築費の捻出
アルバ、修道院の前で
修道院建築のための膨大な費用を、アルベリオーネ神父はどう捻出(ねんしゅつ)していったのでしょうか。
アルベリオーネ神父は、この建築の歩みの中で、「金銭で事業をはじめたら、災いだ。神への信頼と祈りではじめなければ」と語っていたと、ジャッカルド神父は書き残しています。
膨大な建築費に対処するため、アルベリオーネ神父は50年先を見越し、比較的年輩者である数名を集め、次のような責任を分担して与えたのです。
- 信仰と祈り。
- 各人は所定の部署で聖パウロ会に対して、最大限に貢献するために寛大さと勤勉さを示すこと。
- 各人は、率先して建築費の捻出に努めること。
ジャッカルド神父は、事業拡張の貸付金を出してくれる人や寄付金の提供者を見つける任務を負いました。自分の傾向には合わないものの、信仰と感謝の念から、この任務を引き受けたのでした。その間、数々の不思議な出来事を体験しました。
神はその従順に報い、多くの人たちを動かし、多くの人々が「神の人」の言うことであれば、とジャッカルド神父を信用し、お金を聖パウロ会に貸してくれたのでした。利子は最低限、もしくは利子なしで貸してくれる人たちもいました。こうして資金が集まり、費用を支払うことができました。
時代は、第1次世界大戦後の不況の時代に突入し、インフレと物不足は深刻を極めました。この時、アルベリオーネ神父のとった道は「自給自足」の道でした。
たとえば、協力者にポプラの苗木を植えてもらい、成長した段階で、聖パウロ会の若者が自分の製紙工場でこれを印刷用紙にしたのです。インクも同様に自分たちでつくりました。
これは、生活面においても同様でした。敷地内にパン焼きかまどを作ってパンを焼き、豚や雌牛も飼い、そこから肉やミルクを補給していました。
この自給自足の道は、ついにはレンガ製造工場にまでおよびました。このレンガ製造工場を建てる前には、レンガにかかわる裁判まで引き起こしています。
このような体験を、彼は霊的手記に次のように書き残しています。
支出をするさいには、慎重に次の糾明をしてからすることにしていた。これは必要だろうか。正しい意向があるだろうか。もし臨終の床にあってもこうするだろうか。答えが肯定の場合には、神に委ねてそれを行った。
ときおり、窮乏は火急の対策を必要とする重大なものだった。あらゆる方便や、人間的希望が閉ざされたときにも、祈りながら罪を避け、清貧にもとるあらゆる過失を退けるように努力した。すると思いもかけない解決策が現れた。
未知の人々からの送金、金を貸そうとの申し出、新しい恩人の出現や、彼にはいまだに説明のつかない他のこと…… が起きて解決を見た。歳月が流れ、破産するに違いないという風評や、気狂いだという非難…… なども消えていった。
そして、たとえ苦労をもってであるにせよ、すべては平和のうちに結論にこぎつくのだった。
債権者のだれひとり、びた一文も損はしなかった。・・・・そして出入りの商人、建築業者、商社などは信頼を保ち続けてくれた。協力してくれた恩人たちの、その愛徳は3倍もの実を結んだ。
しかもそういう恩人たちが大勢いた。その反面、反対の事実も数多かった。マエストロ・ジャッカルド(ジャッカルド先生という意味)はこう言っていた。
《たとえ善意からにせよ、わたしたちに反対する人々を気の毒に思います。その中には、もうすでに罰を受けた人がいますから》。だが彼はこう答えるのが常だった。《聖パウロ会に召命を送ったり、援助をしたために祝福を受けた人の方が多いのを、私は知っている》。
司教の厚意と祝福は途絶えることはなかったし、教区の中の優れた聖職者たちも同様だった。
これらの歩みについてサヴェリオ・ボアノ神父が、イタリア国営放送のインタビューを受けたときの記録資料を紹介しましょう。この記録は、彼が日本のパウロ会のシスターに提供してくださったものです。
このインタビューで、サヴェリオ・ボアノ神父は、「ひとりの聖人に、なんと50年間協力した老司祭」として紹介されています。
◆2--5 広い原っぱへ、基礎固めの時