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新世紀ルーツへの巡礼
広い原っぱへ、基礎固めの時
4)疑惑と非難
このような動きを見ていた人たちが、すべてアルベリオーネ神父を応援する人たちばかりであったわけではありません。聖パウロ会の事業に対して、疑惑と警戒の目で見る人も少なくなかったのです。
当時のアルバでは、見たこともない5階建ての大きな建物が、購入したばかりの土地に建てられたのですから、当然かもしれません。
「あのような大きな建物には、それを運営するための統治者、経営者、教師たち、技術者も必要だ。……あの若い司祭は、青少年たちを集めて、何をしようとしているのか。
あの若者たちは印刷には素人、ジャーナリズムにはまったく疎い。印刷の雑事の中で勉強はできない」と言う人々がいました。
熱心な司祭たちの中にさえ、アルベリオーネ神父は思い上がっている、彼は幻想家だ、気をつけたほうが良いと言われることがありました。また、アルベリオーネ神父は、「教会からも、彼は信用されていない」とも言われたりしました。
このようなアルベリオーネ神父への批判、非難、妨害に対して、だれよりも苦しんだのは、彼の右腕として共に創立の歩みを歩んでいたジャッカルド神父でした。
また、もうひとつの出来事がありました。それは、第1次世界大戦の終結によって軍隊から復員してきた6名の神学生と4名の学生が、教区の神学校を去って聖パウロ会に入会したことです。このことは、大きな問題になりました。神学校の霊的指導者という立場を利用して神学生を引き抜くとは、何事かということです。
これらの非難の声は、教区長フランシスコ・レ司教の耳にも達したのです。彼は、アルベリオーネ神父を呼んで、釈明させました。そのときに、アルベリオーネ神父は次のように答えました。
「司教様、霊的指導の任務を私に与えられたのは、あなたではありませんか。あなたは教区内のたくさんの召命に対して、神学生の中から福音宣教への熱意と修道生活への熱意を育てるという任務を与えてくださったではありませんか。今こそ、この善業の実りを取り入れる時です。今、起こっていることは、教区の害になるものではなく、かえって教区と教会の役に立ちます」と。
司教は一応納得はしたものの、聖パウロ会に移行した神学生の叙階は当分見合わせるという結論をだしたのでした。
ジャッカルド神父は、神学校の級友であり戦友でもある青年たちを新しい兄弟として歓迎し、新しい生活環境になじむよう細やかな世話をし、ある人とは生涯の固い友情を結んだのでした。
この時、ピサの教区長は、アルベリオーネ神父に、「何だったら、若者を連れて私の教区に引っ越してきませんか」と、言ってくれました。
しかし、アルバの教区長も、司教協議会のある人も、ぜひこの教区に留まってくれるようにアルベリオーネ神父に頼んだのでした。
司祭の叙階を延期されていた復員神学生たちのうち3名(トロッソ神父、フェノリオ神父、ギオーネ神父)は、1922年6月29日に、司祭に叙階されました。
これで、聖パウロ会にはアルベリオーネ神父以外に4名の司祭がいることになったのです。
その3年後には約500名の志願者を迎え、聖パウロ会の基礎が固められていきました。
◆2--5 広い原っぱへ、基礎固めの時