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新世紀ルーツへの巡礼
4--3 師イエズス修道女会 認可への道 2
4) ジャッカルド神父の最期
ナルツォーレ聖ベルナルド教会にあるジャッカルド神父の祭壇
ジャッカルド神父が師イエズス修道女会のためにいのちをささげ、息を引き取ったまでの歩みを少し述べることにします。
ジャッカルド神父は、さまざまな任務の中、人手を借りなければ歩くことさえ困難になっていました。精密検査の結果、末期の白血病と診断されました。アルベリオーネ神父は、このことをジャッカルド神父に伝え、病者の塗油の秘跡を受けるように勧めました。
ジャッカルド神父は突然のことでしたが、静かに祈るような雰囲気でアルベリオーネ神父に言いました。「ゆるしの秘跡を受けて、ご聖体を拝領させていただけませんか。それから誓願を更新させてください……」と。
アルベリオーネ神父は、パウロ家族メンバーに彼の重態を知らせ、今は医学の範囲を越え、奇跡的回復を祈るほかはないと伝えたました。
ジャッカルド神父は、病床に伏してから10日間祈りのうちに過ごしていました。22日の朝、アルベリオーネ神父は、彼の病床のそばに用意された小祭壇でミサをささげ、臨終にある彼にご聖体を授けました。この日の夕方、ジャッカルド神父は心不全に陥り、これで最期かと思われましたが、しばらくして息を吹き返しました。
ローマ修道院の兄弟たちは、列を作ってジャッカルド神父を見舞い、その手に接吻し、別れのあいさつをし、心の中では「天国でまた会いましょう」と言っていました。アルベリオーネ神父もジャッカルド神父を抱き、涙を浮かべながら愛のこもった言葉をかけていました。
1月24日土曜日、ジャッカルド神父が愛するマリアの日は、彼のこの世での最後の日となりました。この日、ジャッカルド神父は、いつものように寝室に隣接した書斎でミサにあずかり、聖体を拝領し、ミサが終わって付き添われて寝室に戻りました。
正午に、聖パウロ大聖堂の鐘が鳴り響くころ、ジャッカルド神父は付き添いの人たちと一緒に「お告げの祈り」を唱えました。やがて呼吸困難となり、脈拍も途切れがちになっていきまた。臨終のジャッカルド神父は、アルベリオーネ神父から再びゆるしの秘跡を受けました。その後、彼はついに息を引き取りました。午後1時20分のことでした。
ジャッカルド神父の死は、全世界にいるパウロ家族に、そして彼の家族、友人、教会関係者などに知らされました。「聖人が亡くなった」と言う人もいました。
彼の遺体は聖パウロ会本部修道院の聖堂に安置されましたが、その棺の周りには、彼の死を悼む人びとが絶え間なく訪れ、この地上での彼の働きに感謝し、彼の永遠の安息を祈りました。
彼の死は翌25日の新聞で報道され、各方面より弔電を受けました。聖パウロ大聖堂を管理している聖ベネディクト会の大修道院長も彼の死を悼み、アルベリオーネ神父の願いを聞き、聖パウロ大聖堂で葬儀ミサを行うことを受け入れてくれました。
26日ジャッカルド神父の棺は聖パウロ会本部から聖パウロ大聖堂へと聖パウロ会会員たちの肩に担がれて移され、荘厳な葬儀ミサと告別式が捧げられました。アルベリオーネ神父は、「ジャッカルド神父の日記」を引用しながら短い弔辞を述べました。
力いっぱい戦ってきました。
最初に得たものは従順、第二は愛徳、第三は絶え間ない祈りです。
実に、彼の特徴とする徳、“従順・愛徳・敬虔さ”は、多くの人の模範になったのです。
アルベリオーネ神父は、「たいへん信心深い、とても謙虚なジャッカルド神父様、また天国でお会いしましょう! 私たちのためにお祈りください!」と、閉じました。
彼の遺体は、1966年「使徒の女王大聖堂」の地下聖堂の墓所に納められました。
使徒の女王大聖堂のジャッカルド神父柩
ジャッカルド神父は、アルベリオーネ神父からローマ支部設立の使命を託され、多くの労苦にも関わらず、信仰の中でマリアの助けをいただきながら使命を果たしました。
ジャッカルド神父は、1989年10月22日、聖パウロ修道会創立75周年目にあたる年に、バチカンの聖ペトロ大聖堂において、教皇ヨハネ・パウロ2世により列福されました。彼は、パウロ家族の公に認められた第一番目の聖人となりました。
◆4--3 師イエズス修道女会 認可への道 2
- 1) 新しい命のダイナミズム
- 2) 師イエズス修道女会の教会法による創設
- 3) 教皇による法的認可とジャッカルド神父の奉献
- 4) ジャッカルド神父の最期
- 5) 「師イエズス修道女会」認可の歩みで
- 6) 司教認可の1年後
- 7) いただいた特別の恵み
- 8) 師イエズス修道女会とその会憲の最終認可