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新世紀ルーツへの巡礼
4--3 師イエズス修道女会 認可への道 2
5) 「師イエズス修道女会」認可の歩みで
「師イエズス修道女会」認可の歩みについて、「あの時」ということでシスター マリア・ルチアーナに語っていただきましたが、今回はその後の歩みについてお聞きしました。
シスターマリア・ルチアーナの証言インタビューから1
聞き手:
シスターマリア・ルチアーナ、修道者聖省からの、師イエズス修道女会の「消滅」が発表された時の体験をお話しいただけますか?
シスターマリア・ルチアーナ:
1947年4月3日聖木曜日、教区法承認がおりました。
その時、フランスからシスターマリア・スコラスチカも呼ばれました。修道会最初の総長として彼女を認めることになったのですが、認可と共に法的な第1の総長となったのはシスターマリア・ルチアでした。シスターマリア・ルチアは、いろいろなトラブルの時を過ごした方です。
私が修練の時、彼女は私たちを見守ってくれましたが、実質的には何もすることができませんでした。私たちが彼女になにか言っても「従順しましょう」という言葉だけでした。
シスターマリア・ルチアは総長になった時33歳でした。彼女は、シスターマリア・スコラスチカを大切にしておられました。創立者もそうするようにとおっしゃったそうです。
修道会認可の時のことですが、シスターマリア・スコラスチカは「X(エックス)総長」、つまり「前総長」と呼ばれ、法的にはシスターマリア・ルチアが最初の総長です。ある面ではシスターマリア・ルチアはもっと準備された方といえます。
アルベリオーネ神父は、修道会認可の手続き中に、すばらしい黙想をしてくださいました。「師イエズス修道女会」と一言も使われませんでしたが、いろいろの言葉で「師イエズス修道女会」の使命を話してくださったのです。
聞き手:
シスターマリア・スコラスチカも、実に修道会創立の歩みの中ですごい人生を送られましたね。
シスターマリア・ルチアーナ:
最初の「師イエズス修道女」としての使命が終わり、その場から退いた後、彼女は特別なことは言われませんでしたが、彼女の存在自体がなにか私たちに与えてくれています。亡くなりましたが、私たちの中に今も存在しています。
シスターマリア・スコラスチカは、聖体礼拝の時に新聞をかかえていきました。歴史と共に祈る、歴史を祈ること、礼拝に対する熱意は説教はしなくても、あの方の存在自体が私たちに語っているのです。
聞き手:
新聞を抱えて祈りにいったということは、あの時代に画期的なことと言えますね。
シスターマリア・ルチアーナ:
新聞を読むとか、読まないではありません。シスターマリア・スコラスチカを思い出すのは、新聞を抱えるということが、ご聖体の前で出来事を祈るということでした。このような彼女のイメージが私たちの中に生きているのです。
一つの事件がある、そして今日イエスの前にその出来事を祈る、この人びとを聖体のイエスにもっていく、世界を祈るということです。
テレビを見る時に、ニュースの取材班が危険を顧みずに伝えます。そしてこのことの偉大さをも知りました。コミュニケーションという出来事を知らせる仕事の偉大さ、現地から知らせる、生きたニュースを知らせる、これが創立者が見たひとつの使徒職だと思います。そして、それをご聖体のイエスに抱えてすべてを連れて行くのです。それが私たちの使命です。
思えば、ローマで聖パウロ女子修道会の修練院で過ごした時も、それなりの恵みがありました。聖パウロ女子修道会のシスターの友達もできました。その時聖パウロ修道会の神学生も、私たちのために一生懸命祈ってくれていました。創立者の考えに自分たちも追いて行っていました。
1947年の3月まで実にいろいろの事がありました。
認可の前、私たちは前もってアルバに行っていました。そして修道会として本当に許可されると知った時、私たちは一人ひとり呼ばれました。そして私たちは1カ月間、黙想のために山に行きました。許可された会則のもとに最初に誓願をたてたのは私たちのグループでした。
聞き手:
聖パウロ修道会の創立(1914年)から30数年の歳月がかかったわけですね。長く苦しい十字架の道でしたね。
シスターマリア・ルチアーナ:
私たちのメンバーは、その時数百人になっていました。その間、私たちは聖パウロ女子修道会の力でもあったのです。私たちは支部にも行っていました。そこでは聖パウロ女子修道会のシスターと一緒で、私たちは家庭宣教にも行きましたし、その中の1人は聖パウロ修道会に行きました。その時、私たちのすべては聖パウロ修道会のためでした。私たちが持っていったものはすべて司祭修道者のためで、宣教に行く人のために使われました。
私たちが「みな聖パウロ修道会のためにしました」と言ったとき、ジャッカルド神父は「確かにあなたたちはみな聖パウロ修道会のためにしました。しかし、あなたたちもみな聖パウロ修道会から受けました」と。確かに私たちは霊的なこと、生活のこと、なんでも彼らから受けました。
聞き手:
シスターテクラ・メルロがアルベリオーネ神父に、実質的に二つの修道会であるのに一つの修道会としてこれ以上生活することはできません、という手紙を書かれたと聞いたことがあります。こういうことをシスターテクラ・メルロがお書きになることは珍しいことで、ぎりぎりのところまできていたのでしょうとという話を聞いたことがあります。
シスターマリア・ルチアーナ:
シスター・マリア・スコラスチカスは、パリでご聖体とマリア様に祈り、捕囚の時を過ごし苦しみましたが、シスターテクラ・メルロは別の苦しみがあったことでしょう。
私たちの修道会が認可された後、ローマから出発した時、シスターテクラ・メルロにあいさつをしました。この時、彼女の今までの苦しみをとても強く感じました。
シスターマリア・ルチアが言っていましたが、シスターテクラ・メルロは想像することのできないくらいの広い心の方でした。
私たちに対してどれだけ母性的な心をもっておられたか、シスターマリア・ルチアは、「こういう時にはこうしていただいた、この時はこうしてくださった」といつも彼女の母の心について話してくれました。私は、本当にそういう方だと感じました。簡単な言葉でしたが、いつも声をかけてくださり、彼女にお目にかかれただけでも幸せと感じました。
◆4--3 師イエズス修道女会 認可への道 2
- 1) 新しい命のダイナミズム
- 2) 師イエズス修道女会の教会法による創設
- 3) 教皇による法的認可とジャッカルド神父の奉献
- 4) ジャッカルド神父の最期
- 5) 「師イエズス修道女会」認可の歩みで
- 6) 司教認可の1年後
- 7) いただいた特別の恵み
- 8) 師イエズス修道女会とその会憲の最終認可