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新世紀ルーツへの巡礼

目次

4--3 師イエズス修道女会 認可への道 2

7) いただいた特別の恵み

中央がジャッカルド神父
中央がジャッカルド神父

聞き手:

ジャッカルド神父が福者となるまで、シスタールチアーナがジャッカルド神父から恵みをいただいていたことを知りませんでした。

シスターマリア・ルチアーナ:

1954年に私は治りました。55年にアルベリオーネ神父がシスターテクラ・メルロ、シスターマリア・ルチアと一緒に来日された際に、このことを話し、思い出してラメラ神父(修道会の列福に関する担当をしていた司祭)に書き送りました。57年に総会があった時、彼から呼ばれて、このことを詳しく書くように言われました。私は、レントゲン写真を撮っていましたが、証拠のためのレントゲン写真が一枚不足していました。そのため、このことはもう話されなくなりました。

87年の総会の前に、列福のために調査の人が来ました。その人は、いろいろの恵みを再調査して、このことをもっとよく調べなさいと言っていきました。シスターマリア・ルチアは、聖パウロ女子修道会会員以外で、この出来事について知っている人を思い出せないかと私に言われました。

私がよくなった後のレントゲンが足りなかったのです。探しても見つかりませんでした。40年前のことを聞いても、だれもわからないわけです。

ある日のこと、昼の3時ごろの礼拝の時に、パリミッションの神父様が毎木曜に病院に聖体を運んでくださっていたことを思い出しました。86年の終わりごろでした。そこでこの神父様がどこにおられるかを調べ、教会に電話して尋ねると、「はい。覚えていますよ」と言われました。

私は、病気が治ったことやその調査について彼に説明しました。
私はその神父様に証言を書いてくれるように依頼しました。すると、神父様は私が書いてもいいですがもっときちんと書いてくれる人がいますと言われました。私の病気を診てくださっていた木沢先生でした。彼は、80何歳になっておられましたが、ご健在で、証言を書いていただくことができました。それをローマに送り、バチカンもそれを受け入れました。

聞き手:

ジャッカルド神父は、師イエズス修道女会のために命をささげ、教会の栄光は師イエズス修道女会からということですね。

シスターマリア・ルチアーナ:

ここに一つのことがあります。1948年、私は支部に行っていました。その時にジャッカルド神父は亡くなられたわけですが、彼がとても苦しんでおられた時、私がいた支部をシスターマリア・ルチアが訪問していたのです。私は誓願を立てたばかりでしたので彼女の訪問はとてもうれしかったことを覚えています。

その日の聖体拝領の時、シスターマリア・ルチアの許可をもらい、「ジャッカルド神父の生涯は大切で、私はまだ20歳になったばかりなので、思し召しなら彼の代わりに私の命をささげたい」と祈ったのです。シスターマリア・ルチアは、もし、神が受け入れてくださったら「まっすぐ天国に行く」という条件を付けてくださいと言われ、イエスにそう祈りました。

その日、シスターマリア・ルチアがローマに着いた時には、ジャッカルド神父は亡くなっていました。そのことを知った私は、なぜイエスは私の祈りを聞き入れてくださらなかったかと、とても苦しみました。

川口で私の病気が良くなった時、シスターマリア・ルチアはあの1948年のそのことを思い出し、「ああ、あの時あなたがささげたことは、あなたに新たに戻ったのですね」と言われました。

私が生きているのは、神と司祭に結ばれているという私たちの使命があるからだと感じました。あの時には受け入れられませんでしたが、日本で私が病気のときにいのちを返してくださったのです。

聞き手:

シスターが日本に派遣された時、どのような言葉で派遣されたのですか。

シスターマリア・ルチアーナ:

私は、カタニアという支部に行っていました。新しいセンターを開くためでした。行ってから7カ月後、1951年クリスマスの2、3日前に、外出から帰った時に電報を受け取りました。開けてみると、すぐにアルバに出発しなさいとのことでした。

なんのことかと心配しました。両親も亡くなっているし、兄弟になにかがあるのか、終生誓願のことか、それは何も書かれていませんでした。

夜の11時の汽車で、30時間。ローマにちょっと立ち寄り、ミサで聖体拝領に間に合い、その後すぐ汽車に乗って、アルバに夜10時に着きました。アレキサンドリアでの乗り換えがうまくいかず、私が着いた時、駅にだれも迎えに来ていませんでした。小さい町ですが、夜はやはり気持ちが悪いです。修道院に到着したら門は堅くしまっていました。ベルを鳴らしてもなかなか出てきませんでした。

聖体礼拝するシスター


しばらくして、青いマント(祈っていたということ)のシスターピアが出てきました。

 私はなにがあるかを尋ねました。彼女は「心配しないで休んでください」と言い、私は飲み物を飲み、休みました。すべては明日のこととなりました。

翌朝ミサにあずかって、総長から呼ばれると思ったのですが、呼ばれないので私の方から「何ですか」と聞きに行きました。

彼女は、「座ってくださいと」と言い、私が「座らなくても大丈夫です」と言っても、再び「座ってください」と言われ、なにかしらと不安に思ったのでした。

そして、「私たちはあなたを日本に派遣することを考えました。あなたもそれを望むでしょう?」と言われました。

私は日本と聞いて大きなショックを受けました。そして、ひざまずいて「終生誓願はどうなるのですか」、と聞きました。すると、「もちろん立てますよ」と言われたので、「ああ、それならどこでもいいですよ」と答えたわけです。

 「あなたにとってイタリアでの最後のクリスマスになると思い、あなたが母院でクリスマスを祝えるように電報を打ったのです。もし、そのことを言えばあなたは来なかったでしょう」と言われました。

◆4--3 師イエズス修道女会 認可への道 2


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