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新世紀ルーツへの巡礼

目次

4--3 師イエズス修道女会 認可への道 2

6) 司教認可の1年後

聖体礼拝するシスター"

聞き手:

認可の後、またいろいろのことがあったのでしょうね。

シスターマリア・ルチアーナ:

司教認可の1年後、1948年1月12日には、また大きなことがありました。まだ半年しか経っていないのですが、ピオ12世が推薦状を与えてくださいました。
認可された12日には、ジャッカルド神父が倒れられました。

フェデリコ神父がバチカンからの認可をもってきて、それを知らせた時、ジャッカルド神父は「いのちのために命を与えることはよいことである」と言われたそうです。

聞き手:

私たちはシスターテクラ・メルロが苦しまれたという聖パウロ女子修道会の側から今までこの歴史を見ていましたが、実はすごい歩み、歴史があったことをしりました。

シスターマリア・ルチアーナ:

シスターテクラ・メルロは、私たちにとって「お母さんのお母さん」です。
大切なことは、シスターテクラ・メルロはアルベリオーネ神父と一致しておられたということです。そうでなかったら、私たちの会は存在しなかったでしょう。彼女はアルベリオーネ神父の意図をしっかり理解し、離れなかったということ、それに協力されたので、私たちの修道会が生まれることができたのだと思います。

そして、それに協力されたのがジャッカルド神父であったのです。
なによりも、シスターテクラ・メルロが自分の立場を間違えなかったことだと思います。それは、シスターテクラ・メルロが創立者が何を考えておられたかを見抜いておられたからだと確信しています。

あの言葉の少ない創立者の意図することを理解することは、シスターテクラ・メルロに賢さと信仰の両方がなくてはできなかったと思います。あの当時にあのアルベリオーネ神父を信じてついていくことは、普通の人間にはできなかったことです。

創立者ご自身も余裕があって、確信があって進んでいったわけではなく、ましてやすべてが分かっていたことではなく、やりながら少しずつ分かっていかれたのですから。その人のそばで、その人と同じようにしていくということは、大変なことです。

そして、これらの出来事を思いめぐらしていくと、シスターテクラ・メルロの存在は、神が与えてくださったたまものだと感じます。

修道会の歩みの中で、この時期は「墓」と言われます。そして、この間師イエズス修道女会の使命が深められた時だといえます。復活の神秘です。私は師イエズス修道女会のカリスマのために、この試練が必要だったと、思うようになりました。

この「墓」。マルタとマリアの所にいって、「あなたはこれを信じるかと」とのイエスの言葉を聞いて、何回も苦しみの中で、なにか「この病気は、死ぬための病気ではない」というイエスの言葉が思い出されきました。この時期に過越の神秘を分からせていただいたのです。

教会も人間でつくられたものですが、試練は教会を通じてやってきて、教会の中で伝えるべき意義を悟らせていただいたのだと思うようになりました。

自分の苦しみ試練の中で、“scio cui credidi”「私はだれを信じたかを知っている」とのパウロの歌を歌っていました。

聖母像

1948年にジャッカルド神父が亡くなられ、その年にあなたたち聖パウロ女子修道会は日本にきました。私と一緒に修練をしたシスターロレンチーナがその中にいます。
その1年後私たち師イエズス修道女会も来日し、1952年には、私も日本にまいりました。

日本でのいろいろの苦しい時期に、私たちの心に浮かんだのは、ジャッカルド神父に祈りましょうということでした。

彼は4年前に亡くなられましたが、私たちのために命をささげてくださったのだから、彼に祈りましょうということでした。

これから何かできると思っていたのですが、私も大きな病気をしました。死ぬためにイタリアに帰るのもいいが、私たちとしてジャッカルド神父に奇跡の恵みを頼めないのか、と院長シスターマリア・ピアが言いました。貧しかったのですが、総長はイタリアへの切符を買うお金も送ってくれていました。自分の国で死ぬことは唯一の慰めでしたから。

しかしまず、私たちは、私たちの修道会のために尽くしてくださった聖なる司祭ジャッカルド神父に取り次ぎを願ったのでした。

川口の小さい畳の部屋の聖堂に行って、「イエス様、私は今まで病気もささげてきました。しかし、今この病気の回復を祈るように言われました。ジャッカルド神父の取り次ぎによって治してください」と祈りました。

祈って、3日間もたたないうちに、私の病気は治ってしまいました。それは、ジャッカルド神父の取り次ぎでした。そして、姉妹の愛と、シスターマリア・ピアへの信仰と従順でした。

◆4--3 師イエズス修道女会 認可への道 2


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