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新世紀ルーツへの巡礼

目次

聖師イエス聖堂

1)モンカレットの家

現在の女子パウロ会アルバ

現在聖パウロ女子修道院の母院のあるアルバに、一つの教会を建てようというアイディアは、アルベリオーネ神父とローザ神父が モンカレットの家(大きな屋敷)を買った 1915年にさかのぼります。

そこは、アルバの郊外、サン・カッシアーノという町です。アイルランドのキリスト者で、311年、ゴール人 フロンティニアーノと共に殉教した、聖カッシアーノから名を取っています。アルバとポッレンツォを結ぶ 古い道路沿いにあります。第一次世界大戦後、この地は、ボルゴ・ピアーヴェと呼ばれるようになります。

この地は、家も散らばって存在していたことや、教会から遠かったこともあって、当時、人々の霊的必要、司牧的面では欠落していました。そこで、彼らは 教会の必要性を司教に提案しました。彼らのこの提案は、壮大な夢のようなことではありませんでした。

というのは、教区のこのような状況を、フランシスコ・キエザ神父、ヨセフ・プリエロ神父、ルイジ・シボナ神父たちも心にかけていたので、かれらのサポートがありました。また当時、この地域の町も発展していきました。

1915年、聖パウロ会創立の翌年に、アルベリオーネ神父がローザ神父とともに「小さな労働者印刷学校」を建てた時、9名の志願者たちが、ケラスコ広場の修道院から、アルバ郊外の モンカレットの家に引っ越しました。

第1次世界大戦中でもあったので、ローザ神父は、サン・カッシアーノの教会を、兵隊たちのために国民の奉納として、“平和の女王”にささげられた小聖堂、“亡くなった兵士たちの煉獄(れんごく)の魂”のための小聖堂、イタリアの移民たちに よって建てられる“聖ヨセフ”にささげられた小聖堂を計画し、さらに“キリストのみ心”にささげられた教会を建立する計画を司教に提案しました。

ローザ神父と アルベリオーネ神父と、このプロジェクトについて話した司教は、1915年8月15日付けで、教会建築の申請を認可しました。

アルバ郊外サン・カッシアーノに、イエスのみ心に捧げられた教会を建築する許可を与えます。
 この教会は、なににもまして町の教会から遠いこの地の人々の霊的意義のためです。  また、兵士たちの救いのため、国の栄えある平和をえるため、命を落とした兵士たちの救いを祈るためです。
 ですから、この計画を教区の司祭、信徒たちが理解し、援助するように、心からの祝福を送ります。

1915年8月15日
アルバ司教 フランシスコ・レ

こうして、教会のために指定された場所は、聖なるところとされ、聖心にささげられた素朴な柱が建てられました。

しかし、このプロジェクトは、計画どおりにはいきませんでした。

◆5--3 聖師イエス聖堂


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