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新世紀ルーツへの巡礼

目次

聖師イエス聖堂

4) 道・真理・生命である師イエス

師イエズス聖堂正面から

パウロ家族の生活の 固有な要素と特徴を示す原理になっている「道・真理・生命(いのち)である師イエスへの信心」が、いつ誕生したのかは 明確ではありません。

最初に この信心についてはっきりと記されているは、1922年6月4日付けの「協力者会誌」です。

「三つの信心は、今の時代の考え方に適合し、人々の考えと心の中で大きな善を果たすはずです。師イエスの信心、使徒の女王である無原罪の聖母への信心、そして イエス・キリストへの一番熱心な 使徒聖パウロの信心」と。

この記事を書いた直後、1922年7月22日、アルベリオーネ神父は、聖パウロ女子修道会初代総長として、シスター テクラ・メルロを任命した時、パウロの娘に「あなたたちはこれから『マエストラ(師、先生)』と呼ばれるでしょう」と言っています。

師イエスへの信心を 自分のうちに養い、また人々に広めたいという望みが、アルベリオーネ神父の中に生まれていったのは、使徒聖パウロの考えについての黙想からであるとうかがい知れます。彼は、霊的手記に次のようにつづっています。

 聖パウロの研究に分け入ると、聖師をその十全的な姿において知った弟子に出会う。聖パウロは、全面的に師を生きている。その教義、そのみ心、その人性と神性の奥義を探り、彼を教師、いけにえ、司祭として見、キリスト自ら定義されたとおり、道、真理、また生命(いのち)としてのキリスト全体を 私たちに示してくれる。

 上のようなヴィジョンにおいてこそ、宗教、教義、倫理、崇敬がはっきりする。このヴィジョンには充全的なイエス・キリストがある。こういう傾倒の仕方によって、人間は全くイエス・キリストから捕らえられ、征服される。

 信心は充全となり、こうして修道者も司祭も、上知(勉学と天賦の知恵)、身丈(おとならしさと徳)と恩恵(聖性)において、イエス・キリストの完成したよわいにまで、また、「生きているのはもはやわたしではない……キリストがわたしのうちに生きておられる」(ルカ 2.52、ガラ 2.20 参照) とあるように、キリストが人間のうちに、あるいは人間にとって代わるまでに成長していくのである。神人イエス・キリストのペルソナに対する信心のすべては、所詮、この道・真理・また生命の信心に収斂(しゅうれん)していくのである。

また、彼のうけた示現、「恐れるな、私はあなたたちと共にいる……」という救い主のことばを聞いたあの夢の省察から、必然的な帰結として、この信心が生まれたと考えることもできるでしょう。

アルベリオーネ神父は、この信心の実践と普及から、大きな善が生まれることを希望していました。そしてそれが、人間の能力のより完全な統合と、その結果生まれて来る神への奉仕における豊かな実りとなって具現されると考えていたのです。「すべて」、「人間全体」、「統合」ということは、彼にとって 大切なキーワードでした。それこそ彼が時代を先読みしていた 預言的な視点であったと言えるでしょう。

パウロ家族の 生活の核になっている聖体訪問、黙想、意識の糾明……などは、道・真理・生命(いのち)である師イエスが、「知性、意志、心、人間全体」というあり方で崇敬されなければならないと 教えられていました。

聖体訪問では、道・真理・生命(いのち)である師イエスを訪問します。ここで「知性、意志、心、人間全体」で神に心をあげることができ、親しく神と関われるように大事にされ、今もパウロ家族メンバーとって、聖体訪問はなくてはならないものとして だれからも愛され、大切にされています。

毎月、月の第一土曜日には、聖パウロ女子修道会で「道・真理・生命(いのち)である師」を訪問する聖体訪問の時がもうけられ、希望する方と共にご一緒にお祈りしています。

◆5--3 聖師イエス聖堂


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