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新世紀ルーツへの巡礼
聖師イエス聖堂
3) 聖師イエス・キリストにささげられた最初の聖堂
ローザ神父との問題が解決した翌年の1926年、アルベリオーネ神父は、1915年から計画していた教会の建築を、自分に委ねてもらえるように司教に申し出ました。
ボルゴ・ピアベとなったこの町の人口は増え、アルバの司教座聖堂の主任司祭をはじめ、教会側も教会を建築するという彼らがした約束を果たすように、促していました。
ただ、先に提案されていたのとは異なり、聖師イエスにささげられた教会にすることにしました。
フランシスコ・レ司教は、パウロ会側のイニシアティブを受け入れました。この界隈(かいわい)にますます増える人口の 宗教的奉仕のために心をくだくように、ことに子どもたちの宗教教育に 力をいれるようにと勧められました。
こうして、聖堂建築計画は、トリノのアカデミア・アルベリティナの建築家ビットリオ・メストリィニに委ねられ、請負主は設計士マリオ・バルベリスでした。スタイルには 古代ゴシック様式が選ばれ、最初の土台作りの土地が掘られ、1927年3月14日、いよいよ教会建築の着工にいたりました。建物に必要な煉瓦は、師イエズス修道女会、パウロの娘(聖パウロ女子修道会)の志願者、神学生の有志によって「サン・パウロ」の窯で焼かれました。
1927年5月には、ただちにこの地域の祈りの中心地にするため、小さな小聖堂が建てられ、モリノ大修院長により祝別されました。この小聖堂は、近隣の典礼の奉仕、司牧・カテケージス・霊的生活の中心となり、月の第一金曜日や聖師イエスの月の信心が行われました。さらに、8月6日祝われるようになった 主のご変容の祝日には、「聖師」というパンフレットが発行されました。
この小聖堂は、1933年に教会が建てられた時に、その役割を終了し、聖パウロ女子修道会の新しい家に 移されることになったのです。
教会の外壁は8月21日に、レ司教により、ボルゴ・ピアベに運ばれ、聖師イエス・キリストの聖堂にささげられらた教会の 最初の土台石となりました。
この時の出来事が、次のように紹介されています。
◆サン・カッシアーノの聖師に捧げられる教会の土台石の祝別
1927年8月27日、午後5時のことです。聖なるロザリオの第3連を唱えていた時に、聖堂を出ました。準備のために大きな部屋に行った後、サン・カッシアーノに向かって 3人ずつの列をつくっていました。私たちのグループの前には、すでに他の3つのグループがそこにいて、大きな列となっていました。
牧場や畑の近道を通り、レ司教をお迎えするために、聖堂に行きました。
レ司教は、乗用車で「神学の先生(アルベリオーネ神父)」や、秘書に付き添われて来られました。
人々は、大きな拍手で彼らを迎えました。すべての列を通りすぎた時、私たちパウロの者たちは、新しい教会の すでに1メートルほどになった壁を取り囲み2列になり、真ん中を開けておきました。
「特別の機会に、黒い十字架が 主祭壇と予定されているところに掲げられました。下には、白いテーブルクロスで 覆われたテーブルに、最初の石を祝福するために必要な物が置かれました。
司教は、15人位の神学生、アルベリオーネ神父、フェノリーノ神父、マネラ神父と共に、すぐに儀式をはじめられ、諸聖人の連祷、聖霊を求める祈りをもって、石は祝福されました。レ司教は、壁の周りを一周して祝福されました。
参加者は、非常に敬虔(けいけん)深く式に参加し、司教は 彼らを祝福されました。建築する教会に隣接した聖堂で、聖体降福式が行われ、この儀式は閉じられました。
儀式を終えて、拍手の中を司教は車に乗られ、参加者みなを 祝福しながら出発されました。
すべての人は満足し、アルベリオーネ神父をほめたたえ、「修道会が、いつも発展しますように」と言っていました。
教会の土台石の祝別の他に、教会が継続することを望んで 建築に必要な資材を集めるための祝典も行われていました。道は アーチ上のライトで照らされ、家々は祭りの装飾で飾られていました。
一人の女性が、フェデリコ神父に「あなた方パウロ会の人たちは、きれいな祭典を催すのがうまいですね。ちょっと前には、聖パウロのすばらしい祝いをして、今日はこのお祝い。私はまるで、キリストのドラマを見ているようでした。あなたたちの修道会を、賛美します」と言いました。
人々は、単純な言葉であっても、主が アルベリオーネ神父をとおしてなさっている業を 賛美していました。
この場所と、聖パウロ会のある場所の 霊的なつながりを強めるため、1930年6月30日、太陽の沈むころ、パウロ家族メンバーは、聖パウロ聖堂からボルゴ・ビアベまで、聖パウロのご像を持って行列をしました。7月6日の日曜日、聖パウロの祝日からちょうど8日目に、今度はボルゴ・ビアベから 聖パウロ聖堂まで聖パウロのご像をもって行列したのです。
聖師にささげられた教会は、1936年 モンシニョール・グラッシから祝別されました。世界で 最初に聖師にささげられた教会です。
聖師イエス、使徒の女王、使徒聖パウロにささげられた三つの教会の一つとして 大事にされていますが、後に師イエズス修道女会のローマ本部に、聖師イエスにささげられた聖堂が 建てられました。
建物の全体的な姿、ステンドグラス、壁画は アルベリオーネ神父の思想と、パウロ的霊性の基本を思い浮かばせます。
パウロの娘にとって この場所にとどまることは、母院と精神的なきずなで結ばれることであり、すべての中心に道・真理・生命(いのち)である師イエスをおくことです。
教会の周囲には、聖パウロ女子修道会の母院が建てられ、1933年11月からパウロの娘たちが そこに住むようになりました。
◆5--3 聖師イエス聖堂
- 1)モンカレットの家
- 2) ローザ神父と……
- → アルベリオーネ神父の霊的手記より
- 3) 聖師イエス・キリストにささげられた最初の聖堂
- 4) 道・真理・生命である師イエス
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