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新世紀ルーツへの巡礼
ローマへ
2) ローマ修道院の設立
教会には、教会法というものがあります。それによると、ローマ修道院を創設するためには、ローマ司教区総代理(ローマ司教である教皇の代理)の許可が必要です。しかし、アルベリオーネ神父は、それなしにジャッカルド神父をはじめとする会員たちを、ローマに派遣したのです。彼は、教会法の規定を知らなかったのでしょうか。いいえ、そうではありませんでした。
永遠の都ローマは、このような許可の手続きは非常にゆっくりしているので、もしこれを待てば、アルベリオーネ神父の計画の実現は、大幅に遅れてしまうのです。それをおそれたのでした。彼は、この法の前で目をつぶることにしたのです。しかもそれと同時に、このことについて何かを言われた時のために、彼は罪のない説明も心に準備していました。
ジャッカルド神父が、長期教区外滞在の許可を願い出た時、アルバの司教は尋ねました。「そんな長い間、何しに行くのですか?」
ジャッカルド神父は、アルベリオーネ神父に勧められていたとおりに、次のように答えました。
「南イタリアのたくさんの司教や主任司祭の依頼で、アルバで印刷している山のような仕事を、一時的に置いておく場所を探しに行きます」と。
ジャッカルド神父は、ローマに着くとすぐ、ローマ司教区総代理館に出頭し、ローマ教区内でミサをささげる許可を申請しました。しかし、この際、彼は一緒にきた少年のグループや、少女たちのことは何もふれませんでした。こうして、相手には、当然ローマの学校に通学するためか、あるいは大学で学位を取得するために一時滞在する若い司祭であると、思いこませてしまいました。
彼は、こんな小さなグループに注意を向ける人はだれもいないと考えたのでしょうか。
当時彼らは、ローマ郊外に住んでいて、しかも貧しく、バラック建てで、教会の権威者が彼らの存在に気付く時には、時はすでにおそく、「いつローマに来たのか」などと調べられない程時間が経っていると考えたのでしょう。
当時、聖パウロ大聖堂を管理していた、ベネディクト会大修道院長シュステルは、ジャッカルド神父と、当時の聖パウロ会一行についてこう言っています。
私は、ほとんど毎朝のように、敗れた靴をはいた少年の一組が敬けんな一司祭に連れられて、ここの大聖堂へミサにくるのを見ました。
ある朝のことです。ミサが終わってから、彼らを香部屋に呼んで聞いてみました。
◎あなたたちは、どこから来たの? 何をしているの?
○アルバから来ました。聖パウロ会の者です。印刷を少しばかりやっています。
◎教区長の許可を、受けているのですか?
○受けていません。
◎それでは、私から教区長に頼んで何とかしてあげましょう。
こうして、ジャッカルド神父の善良な人柄と、志願者たちのまじめな信心と働きは、シュステル院長をはじめ、多くの人びとの信望を得て、ローマの修道院に有形無形の援助をもたらすもととなりました。
同年7月、ローマの聖パウロ大聖堂から1キロ離れた丘陵地帯、500平方メートルをベネディクト会からゆずり受けました。そこが、現在聖パウロ会のローマ修道院のある所です。
ジャッカルド神父一行は、同年10月、そこにあった古い農家に引越し、修道院の建築をはじめ、翌年から、そこにも住みはじめました。聖パウロ女子修道会のシスターたちも、同じ土地の反対側に修道院を建てたのです。
◆2--10 ローマへ
- 1) アルバからローマへ
- 2) ローマ修道院の設立
- 3) ローマの総代理の疑問
- 4) レ司教は修道会認可のために……
- → イグナチオの歩み
- → ローザ神父から、アルバの司教にあてた手紙
- 5) 認可に向かって
- → アルベリオーネ神父から教皇へ、レ司教から教皇へ
- 6) 教皇の一言が……
- 7) やっと訪れた日