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新世紀ルーツへの巡礼
ローマへ
5) 認可に向かって
ピオ11世教皇は、ローザ神父から聖パウロ会について聞くまでもなく、アルベリオーネ神父とその働きについてすでに知っておられました。
1922年10月には、当時聖パウロ会会員だったモンセニョール・ウゴ・ミオーニが、もち前の熱心さで興奮しながら、聖パウロ会について説明していました。その時、教皇は、注意深く彼の話を聞かれ、創立者とその働きの上に祝福を願うミオーニ師に「はい、喜んで祝福します」と幾度も繰り返されたということです。
1926年3月25日には、司教の同意のもと、創立者自身が直接教皇あてに、書簡形式の4ページの文書を送っています。
そこには、修道会の起源、目的、活動、養成、修道生活について、また聖パウロ会、聖パウロ女子修道会、師イエズス修道女会を含むパウロ家族全体の固有性についても報告されています。
また、男子部 426人、女子部 142人、師イエズス修道女会 26人が含まれているとも明記されています。
この三つの会は、それぞれ異なった会とみなされていましたが、同じ原点から生まれ、同じ目的を追求しながら、お互いに深い一致を保っていました。ですから、アルベリオーネ神父は、この三つの会が一つのものとして認可を申請できないか、と考えていました。
三つの修道会を一緒にまとめて認可することは、少なくともその時代には、夢のような理想であり、聖座からも、ピオ11世ご自身からも、このような認可は期待できなかったはずです。修道者聖省は、この点よりむしろ、聖パウロ会を「聖職者と信徒の信心会」として認可すべきか、それとも公式誓願を宣立する修道会として認可すべきかを、真剣に考えていたのです。
アルベリオーネ神父は、後者を受けるべくあらゆる努力をしていたのです。彼が、ジャッカルド神父にこう書き送っていることからも分かります。
「認可に関して、私たちは修道会を望んでいます。修道生活を模倣する団体ではありません。ここまで到達できないものでしょうか。なぜなら、誓願は精神と深い関係があるからです。」
アルベリオーネ神父は、送った文書の中にこう書いています。
私たちは、……主任司祭や司教たちのもとで、教皇様のお望みに全く従属して働きたいと希望しているだけです。
教皇様の要望だけを心に納め、地域の管轄権や一定のイニシャティブを希望しているわけでもありません……
教皇様、聖下に一致して生きることが私たちの喜びであり、すべてにおいて聖下に従い、最後の息を引き取るまで聖下のものでありたいと望んでおります。
この文書は、アルベリオーネ神父とレ司教の署名も他の部分と同じように印刷になっていたのでした。教皇はこれをアルバ司教に返送して、直筆のサインのない文書をどのように評価したらよいかと尋ねるよう、枢機卿に依頼しました。
これを受け取ったレ司教は、アルベリオーネ神父と相談し、彼は必要な訂正を加えた後、印刷文書を返送し、それに自筆の手紙も添えました。その日付は、3月25日のお告げの祝日ではなく、1926年ご昇天祭と書きかえられました。
◆2--10 ローマへ
- 1) アルバからローマへ
- 2) ローマ修道院の設立
- 3) ローマの総代理の疑問
- 4) レ司教は修道会認可のために……
- → イグナチオの歩み
- → ローザ神父から、アルバの司教にあてた手紙
- 5) 認可に向かって
- → アルベリオーネ神父から教皇へ、レ司教から教皇へ
- 6) 教皇の一言が……
- 7) やっと訪れた日