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新世紀ルーツへの巡礼
ローマへ
4) レ司教は修道会認可のために……
アルバのフランシスコ・レ司教は、ローマの総代理秘書モンシニョール・パスクッチに、聖パウロ会の創立、発展、現状をつづった長い手紙を書きました。また、この会を司教直轄修道会とするために、許可を申請した修道会聖省との交渉をも記しました。
それに加えて、彼はアルベリオーネ神父から受けた説明を、何の説明も加えずにそのまま添付し、最後に次のような一文でしめくくったのです。
アルベリオーネ神父の説明が事実と全く合致するとしても、事前にローマ司教総代理のご承諾を受けるのが当然でした。
貴下は該当地においでになりますので、アルベリオーネ神父の説明どおりであるか否かをお調べください。
その上、すべてをご考慮くださり、そのまま継続してよいか、他の処置をおとりになるのか、決定をお知らせいただければ幸いです。
アルバの司教のすすめに従い、秘書パスクッチ自身、オスティエンセ通りに出かけて行ったのでした。
モンセニョール・パスクッチは、その後ジャッカルド神父と深く知り合う機会を得、彼への尊敬と愛のとりこになってしまい、彼への援助を惜しまなかったのでした。
彼はその後も、ジャッカルド神父との会見を求めて度々足を運んでいます。それは友として彼の話に耳を傾け、彼の単純さの中に、神の人を見るためであったということです。
ずっと後になって、モンセニョール・パスクッチは、アルバの母院で夏休みを過ごしました。その時、アルバ修道院の院長はジャッカルド神父だったのです。
アルベリオーネ神父は教会法に弱い。教会法を尊重しない。などと人々が非難していたころ、彼は人のうわさを裏付けるようなことをしていました。
レ司教が、どんなにアルベリオーネ神父に好意を寄せてくれていても、修道者聖省が躊躇(ちゅうちょ)している以上、聖パウロ会が教皇直轄修道会として承認されるには、まず、司教直轄修道会として教区長に認可されていることが不可欠な前提条件であることを、彼はよく分かっていました。
しかし、アルベリオーネ神父は、執拗(しつよう)ともいえるほど、ジャッカルド神父に、聖座から称賛状を受け、続いて教皇直轄修道会の認可を得られるよう、極力努力するようにと手紙を書き続けました。
ジャッカルド神父は、アルベリオーネ神父の願いをどう対処したらいいか祈りつつ、雑誌“Givilta Cattolica”編集長であるイエズス会士 エンリコ・ローザ神父の援助を求めることにしました。この雑誌は、教会の中で権威ある雑誌でした。
ジャッカルド神父は、ローザ神父と出会いました。彼はジャッカルド神父の、人となりと態度全体からあふれ出ていた清純で単純な雰囲気に魅了され、多忙にもかかわらず、オスティエンセ通りの聖パウロ会の小さな聖堂を訪れ、ミサをささげてくれました。
彼は、この小聖堂でした説教の中で、ジャッカルド神父と少年たちのローマ到着を、聖イグナチオとその仲間たちがローマに着いた時に比較しながら話してくれました。
ローザ神父は、自分の共同体でもジャッカルド神父について語っていたばかりでなく、彼が教皇と出会った時に、聖パウロ会と、ローマに新設されたその小さな共同体について語ったということでした。
ローザ神父は、聖パウロ会への称賛状と教皇直轄修道会として認可のとりなしを引き受けてくれたのでした。
ピオ11世教皇は、出版使徒職に献身する会に対して、好意を持っておられました。しかし、彼は厳格な法律家であり、また教皇としての立場から、教皇は願いを受け入れることが不可能なことをはっきり説明されました。
この時のことを、ローザ神父は、アルバの司教にあて手紙を書いています。
◆2--10 ローマへ
- 1) アルバからローマへ
- 2) ローマ修道院の設立
- 3) ローマの総代理の疑問
- 4) レ司教は修道会認可のために……
- → イグナチオの歩み
- → ローザ神父から、アルバの司教にあてた手紙
- 5) 認可に向かって
- → アルベリオーネ神父から教皇へ、レ司教から教皇へ
- 6) 教皇の一言が……
- 7) やっと訪れた日