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新世紀ルーツへの巡礼
ローマへ
3) ローマの総代理の疑問
ローマで生活をはじめたジャッカルド神父一行に関する情報は、思ったより早く、総代理の耳に届き、ジャッカルド神父は、彼のしたことを報告するために呼び出されました。
彼は、新修道院開設に関する総代理の許可を所持していないと、告白しなければなりませんでした。
★ローマには、誰から派遣されたのですか。
☆私の目上です。
★あなたの目上というのは、だれですか。
☆ヤコボ・アルベリオーネ神父。
★それはだれですか。
☆聖パウロ修道会の創立者です。
★聖パウロ修道会。そんなものを、私たちは知らない。
ジャッカルド神父がどんなにか心をこめ、誠意をつくして努めても、その説明だけでは不十分と判断され、1926年3月9日、総代理はその秘書モンシニョール・パスクッチをとおして、アルバの司教に手紙を送ったのです。
その手紙には、ジャッカルド神父のやり方は大変おかしいことであるとし、同時に、アルバで創立されたはずの聖パウロ修道会について、情報提供が依頼されていました。
その手紙は、次のように書かれています。
ローマ司教区総代理に代わって、一筆お手紙をさしあげます。もう少し早くご連絡しなければならなかったのですが。
実は、1月中ごろ、聖パウロ修道会のジャッカルド神父が総代理館に来られ、正式の書類をもってミサをささげる許可を申請し、それを受けられました。
その後、彼は当総代理に相談されずに、オスティエンセ通りに少年たちを集める家を開き、またその後、少女たちも集めていることが、私の耳に入ってきました。
この通常でないやり方は、教会法に反するものであり、司教区総代理も不審に思っておられます。
これが総代理に対する不敬な行為であるばかりでなく、同じオスティエンセ通りに小教区の開設が予定されており、「聖パウロの仲間たち」という同じ名を持つ修道会がすでに活動を開始していますが、彼らと混同されるおそれも十分あります。
そのため、総代理は、事実を司教様にお知らせして、アルバ司教直轄であるはずの、前記の聖パウロ修道会についての情報をお送りくださるようお願いすることを、私に申しつけられました。
この会がめざしている目的、会員について、また、ジャッカルド神父にローマに新修道院開設を試みさせた動機、そしてこの会の基礎になっている経済的援助、以上についてお知らせください。
この手紙を受けたアルバの司教は、直接説明を聞こうと早速アルベリオーネ神父を呼ばれました。
この時、アルベリオーネ神父は、病床に伏せっていて、司教館まで出向くことができず、司教宛に2枚のメモを届けさせました。このメモには日付はありませんが、3月17日か18日のものと考えらます。
メモには、次のように書かれてありました。
Ⅰ)
a) ローマに行ったのは、南イタリアの司教や主任司祭たちの要請によるものであり、彼らに少しでも近くなれば費用も節約でき、迅速に必要に応じることができるようになるからです。
実際 私たちは、58の小教区新聞を印刷しておりますし、まだ250の小教区図書室があって、彼らは度々書籍を補充しなければなりません。主任司祭たちは、冒とくと戦うためのたくさんの資料も受け取っています。
b) 信仰の泉であるローマの近くにいるために
II)
ローマには14人の少年、そしてすこしおくれて14人の少女たちが行っております。
ローマやその近隣から受け入れた者は一人もおりません。みな、大部以前からアルバの修道院にいた者ばかりです。
III)
ローマには、本当の意味の修道院を持っておりません。むしろ、出張所と呼ぶことができる思います。また、そこで司祭的役務を何も果たしておりません。持っていないのですから。
「パウロの仲間たち」と競争にならないように、私たちは彼らの教会に通っておりません。すべてを聖パウロ大聖堂から受けております。
アルバのフランシスコ・レ司教にとって、このアルベリオーネ神父の説明が100%良いものであるとは思えませんでした。はたして出張所といえるのか…… 。
◆2--10 ローマへ
- 1) アルバからローマへ
- 2) ローマ修道院の設立
- 3) ローマの総代理の疑問
- 4) レ司教は修道会認可のために……
- → イグナチオの歩み
- → ローザ神父から、アルバの司教にあてた手紙
- 5) 認可に向かって
- → アルベリオーネ神父から教皇へ、レ司教から教皇へ
- 6) 教皇の一言が……
- 7) やっと訪れた日