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新世紀ルーツへの巡礼

目次

福者ヤコブ・アルベリオーネ神父を訪ねて

1) アルベリオーネ神父の生家

アルベリオーネ神父の生家
アルベリオーネ神父の生家

創立者 ヤコブ・アルベリオーネ神父の列福を記念して、私たちパウロ家族がそろって、アルベリオーネ神父の足跡をたどる巡礼に出かけました。
この「新世紀 ルーツへの巡礼」で、私たちの巡礼旅行を、アルベリオーネ神父の生涯をたどりながらご紹介します。

→ アルベリオーネ神父の生まれ育った環境

1884年4月4日、ヤコブ・アルベリオーネは、ピエモンテ州、クネオ県サン・ロレンツォ・ディ・フォッサーノに生まれました。

アルベリオーネ神父が、洗礼を受けた聖ロレンツォ教会まで来ると、なんと生家への標識が出ているではありませんか。これには、巡礼団一同とても感激しました。

その標識に従って進んでいくと、私たちの乗った大型バスで道幅がいっぱいの細い道が続きます。自転車さえ通ることができず、バスが通過する間、路肩で停車。その道の周りには、広い畑の中に、家が所々にぽつんとあり、のどかな田園風景が広がっていました。

生家への標識 生家の周りの景色
生家への標識 生家の周りの景色

アルベリオーネ神父の生家は、今は聖パウロ会が買い取って管理しているそうです。
 私たちが到着すると、管理人のご夫婦とおとなしい犬が歓迎してくれました。

生家 管理人
生家 管理人

アルベリオーネ神父の父は小作人で、家も彼の持ち家ではなかったとはいえ、貧しい農家というには、かなり立派な家でした。それもそのはず、かなり修復し手を加えてあるそうで、アルベリオーネ神父が住んでいたころのままの状態で残っているのは、家畜小屋だけでした。

家畜小屋 上から見た家畜小屋
家畜小屋 上から見た家畜小屋

その小屋の壁に、「1885」の文字が残っていました。
 これは、この家畜小屋を建てたときに、アルベリオーネ神父の父ミケレか、母テレサが書いたものだそうです。この文字で、この小屋が、アルベリオーネ神父の生まれた翌年に建てられたことがわかります。

壁に残された文字
    壁に残された文字

また管理人の方の説明でわかったのですが、この家は、アルベリオーネ一家だけではなく、他にもう一家族が住んでいたそうです。

現在、増築された1階部分が、小さな聖堂となっていて、その奥には、家族が住んでいた部屋がそのまま残こされています。この部屋で、アルベリオーネ神父は生まれました。

聖堂から、奥の部屋を見ることができるように、祭壇の後ろはガラス張りになり、ガラスに、アルベリオーネ神父の姿が磨りガラスで描かれています。ここでミサに参加すると、きっと彼が見守ってくれているように感じることでしょう。

ガラス張りの聖堂 ガラス張りの聖堂部分
ガラス張りの聖堂

奥の部屋に入ると、はじめてアルベリオーネ神父が生まれたころのかおりを感じます。そこには、質素な暖炉と、かいばおけがありました。8畳くらいの狭い部屋で、7人の家族が生活していたのです。

アルベリオーネ神父がおこしたパウロ家族のはじまりは、どこの国でもベトレヘム(うまぶね)からの出発でした。ここを訪ねて、私は彼の誕生もまたベトレヘム(うまぶね)からはじまっていたことを知り、深い感動を覚えました。

アルベリオーネ神父が生まれた部屋 木製揺りかご
アルベリオーネ神父が
生まれた部屋

この部屋の反対側には、とても近代的な広い食堂があります。今はこの家で、黙想やミーティングが行われるようになっていて、その時に利用するのだそうです。

講話室 最上階からのながめ
講話室 最上階からのながめ

2階には広い講話室があり、その上の階にはいくつかの寝室も準備されていました。一番上の階は、今は展望室のように整備されています。そこからは、周りの田園風景やアルベリオーネ一家の人々が通った聖ロレンツォ教会も見ることができます。

次回は、アルベリオーネ神父が洗礼を受けた教会、聖ロレンツォ教会をご紹介します。

◆福者ヤコブ・アルベリオーネ神父を訪ねて


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