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新世紀ルーツへの巡礼

目次

もうひとつのうまぶね 「師イエズス修道女会」

3)師イエズス修道女会の使命

聖体顕示台

アルベリオーネ神父は、絶えざる賛美、つまり交替で永久聖体礼拝を行うという特別な役割に献身する修道会を、パウロ家族に加えます。

こうした彼女たちの役割のすべて、祈りからあらゆる仕事にいたるまで、その目指すところは、聖師イエスの司祭職に参与する、特に聖パウロ会司祭の役務に結ばれています。聖体礼拝の時間以外には、彼女たちは家庭で母親が果たすような役割を、彼らの中で果たしました。

12月24日のクリスマス前夜、選び分けられたオルソラとメティルデの2人は、彼女たちに委ねられた使命を開始しました。具体的には、聖パウロ会共同体の洗濯の奉仕に献身したのです。

オルソラは、次のように書いています。

私たちは真夜中までには洗濯を終え、クリスマスにはすべてが整えられるよう希望しました。
アルバは凍りつく寒さで、冷たい風が前庭から吹き込んできます。
氷同様の水で、シーツや下着を真夜中のミサの鐘が鳴るまですすぎました。私たちは力尽きてしまいましたが、すべてが時間までに終わったことで幸せでした。
他の人たちに遅れないよう聖堂に行くため、準備のために走りました。
幼きイエスは、必ず私たちの献身を喜ばれたと信じています。
2月10日 創立の日

1924年、聖女スコラスチカを記念日する2月10日、オルソラ・リバータを総長として新しい家族が正式に誕生しました。この日をアルベリオーネ神父は、「師イエズス修道女会」の創立の日と選びました。

なぜ、聖女スコラスチカの記念日なのでしょうか。

聖女スコラスチカは、聖ベネディクトの妹です。
 聖ベネディクトと聖女スコラスチカは、その出生から、生活、使命をとおし、埋葬に至るまで、更には天の栄光の座につくまで近くにいました。神は、この2人をとおして、相互に協力し合う2つの修道会を創立されました。

アルベリオーネ神父が、2月10日、聖女スコラスチカの日を、師イエズス修道女会の創立の日と定めたのは、聖女スコラスチカを記憶すること、同時に聖ベネディクトが創立した修道会のモットー「祈り、働く」が、師イエズス修道女会の精神と使徒活動に似ていることを明確にするためでもあったのです。

師イエズス修道女会の一粒のシードは、かなり前からまかれていましたが、外的には、1923年2月10日に、小さな共同体として形づくられたのです。

その日、すでに定められた2人の他に、あらたな6人が加えられました。アルベリオーネ神父は、マエストラ・テクラ・メルロとオルソラ・リバータと共に、当時、聖パウロ女子修道会にいた人たちの中から、さらに6人を選び出し、8人でひとつの共同体を作るように言われました。こうして、師イエズス修道女会 最初のグループが形成されました。

アルベリオーネ神父は、この選び分けた8人の霊的、使徒的生活に関して 直接指導しました。彼は、師イエズス修道女会の固有の召命について、直接細かい教育をはじめたのです。また、着衣の準備もすすめられていました。
 8人のグループの1人、シスター マリア・アヌンツィアータ・ミッカは、その時のことを次のように証言しています。

オルソラの任務が、次のように明確にされました。
「今からオルソラ・リバータは、シスター スコラスチカと呼ばれ、あなたたちの長上とします。」
彼は、私たちの修道生活についての祈り、沈黙、犠牲について方向づけを与えられました。
また、使徒職として、聖体礼拝、家事一般の奉仕、聖堂の世話をするように指示されました。

アルベリオーネ神父から、これを告げられた時、オルソラ・リバータは、「神よ、私をあわれんでください」と、自分の心の中で祈ったのでした。

シスター スコラスチカを長上として、新しくはじまった共同体の8人は、アルベリオーネ神父の指導に、とてもすなおについていきました。

マエストラ・テクラはそのときに?

アルベリオーネ神父は、ある日、彼の看護をしていたマエストラ・テクラに、「祈りに専念するという 特別な使命を受けた娘たちの、ひとつのグループを考えている」と、その決定を話しています。

テクラ自身は、何か月か前に、アルバに到着したばかりで、スーザへの思いが心にまだまだ生きていた時期でした。この時期から、新しい現実のなかを歩みはじめることになります。しかも、それはかなり難しい状況でもあったのです。

彼女は、アルベリオーネ神父についていくこと、そのことがよくわかっていました。
 6人のシスターを選び出す時、おそらくマエストラ・テクラはその人たちの希望、たまもの、傾きなどを見、本人の希望もきっと聞いたでしょうが、最終的にはアルベリオーネ神父が決めたでしょう。

はじめの時期に、驚いたような、困ったような目をしている娘たちがいるのを見て、それがマエストラ・テクラの苦しみでもあったのでした。

アルベリオーネ神父の望みに、彼女は黙々と誠実な従順をもってこたえていきました。師イエズス修道女会の場合、彼女の従順は、アルベリオーネ神父の抱いていたビジョンへの、積極的参画だったといえます。アルベリオーネ神父は、彼女の耐久力も、決断力もすでに知っていました。
 キエザ神父の授業で「知性と心を、人々の魂に向けて広げていた」ことも熟知していました。ですから、彼は他の会の創立のための助力を彼女に求め、彼女は それに応えたのでした。

アルベリオーネ神父は、後年にマエストラ・テクラが、「師イエズス修道女会の誕生と成長と修道会としての認可のためには、力強い手をもって協力し、彼女たちを支え、助言し、経済的援助を与え、多くの犠牲をも負った」と書いています。

◆4--1 もうひとつのうまぶね 「師イエズス修道女会」


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