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新世紀ルーツへの巡礼

目次

6--3 旅、そして旅

5) フィリピン諸島から

フィリピン
フィリピン

アルベリオーネ神父がフィリピン諸島に修道院を設立しようと考えたとき、この地を東洋におけるパウロ家族の土台として考えていました。フィリピンはカトリック信徒が最も多く、よく準備されたいる地域であることを、彼は訪問中兄弟たちと協力者たちによって確認しました。

その確信は、この訪問を終えるときにも同じものであり、彼はミサの中で「毎日カリスとパテナにいれる意向も同じものである」と言っています。

トルコ、パキスタン、インド、ビルマ、この海に散在する島々、中国、韓国、満州、日本の中でどの国がキリスト教の精神を深く持っているか、アルベリオーネ神父は「それは家庭にしっかり根をおろし、多くの召命を生みだしたときにのみわかることである」と言っています。

アジアの地域に住む10億あるいはそれ以上の人々のために、聖師はパウロ会員を待っておられるとアルベリオーネ神父は語り、「みな、私のもとに来なさい……すべての人に福音を伝えなさい」という言葉で結んでいます。

先に送られてきたアルベリオーネ神父からの回状が印刷に回っているとき、彼からのもう1通のレポートがローマに届きました。
 彼のレポートは、祈りではじめられていました。

アルベリオーネ神父は、息子、娘たちを訪問しながら彼らの霊的な援助、年の黙想を指導していたのでしょう。年の黙想について述べています。

黙想は神と人々の出会いであり、御父と放蕩(ほうとう)息子の出会いである。天国に向かう生活の整理と方向づけである。

黙想は旅の途中で、力を補給するための寄港地である。

黙想会は、「わたしは生きる」という言葉を、「わたしの中に道・真理・いのちであるキリストが真に生きる」に意識的に変えるときである。黙想会を聖母マリアのマントの下で行うとき、本当の回心を得ることができるだろう。

人生は旅路である。すべての人は立ち止まることなく歩んでいる。そして、ほとんどの場合、不意に終着駅に到着する。そして、旅の中での生き方に最終的な判決が与えられる。以上のことは私たちの考えをはっきりさせ、一つの答えに導いてくれるだろう。

旅の途上で5月を迎えたアルベリオーネ神父は、“5月をマリアに”ささげて祈るように指針を与えています。

彼は旅行中いろいろな人に出会い、いろいろな宗教、文化に触れながら、いつも聖母マリアを母として、子の心でマリアに祈り、賛美し、恵みを願っていました。マリアこそ彼にとって「旅するすべてのエワの子らの希望」であり、彼女に信頼し自分を託していました。

すべてをマリアに、すべてはマリアから、すべてをマリアとともに。
マリアはこの地上でみんなに御子イエスを示してくださる方。
「このちくたくの終わるとき、尊き御子イエスを我らに示したまえ」と祈ろう。

フィリピンについてのアルベリオーネ神父のレポートの一部をご紹介しましょう。

マニラについて

マニラは、フィリピン諸島(7000以上の島々から成る)の首都である。フィリピンの人口は約2千万で80%がカトリック信徒である。修道会にとっては東洋に関して多くの期待をかけている地区である。戦争によって非常に多くの試練にあった地区である。

マニラには二つのカトリック大学があり、一つはドミニコ会のもので、もう一つはイエズス会の学校である。街には多くの学校経営の修道会がある。また、スペイン的魂が感じられ、アメリカに密接に結ばれている。カトリックが全面的に生きられるよう準備が整っている。

多くの映画がある。また、印刷物も同様である。気候と戦争の影響による困難は大きな障害となっている。最もひどいことは司祭の不足である。3万人に1人の司祭しかいない。イタリアでは1000人に1人だというのに。

マニラの人口およそ100万の都市である。私たちの兄弟たちが多く働き、多くの苦しみにあったところである。田畑に見事な収穫があったとき、戦争によってすべてが破壊された。しかし、人々は守られ、パウロ的精神、善意はみなのなかに保たれた。信仰と犠牲とパウロ的精神によって使徒職が再開された。

すべてにおいて、院長のベルナルド・ボルゴーニョ神父の働きの跡が見える。教会は大きく聖なる雰囲気で、司牧的でよく行われている。新しい修道院は修道共同体にとって温かみがあってふさわしい。

会員の心は新しい召命の募集と、自分たちの使徒職に向けられている。今まで築かれてきた基礎の上に、さらに企画の実現や、すでに着手した事柄を発展させることに努めている。聖師は彼らに多くの事を語っておられる。聖師はその尊い御血によって彼らを得たのである。

アルベリオーネ神父はここで、イタリア出発後一度も会っていないカゾラーリ神父とセルボ神父と再会し、「彼らは修道会と自分たちの使命を非常に愛している」と、喜びを表現しています。

また、果たした多くの仕事、築きあげた立派な土台が破壊されたにもかかわらず、兄弟たちの熱意と寛大さが、これからの希望へと心を開かせたのでした。

アルベリオーネ神父は、「私たちは使徒の女王と使徒パウロに信頼している」と言います。そして、「良い業をはじめた方は、それを完成まで導いてくださる」とも言っています。

アルベリオーネ神父は、「私たちの使徒職は、この国で果たしていくのに適しており、また広い道も開かれている。神だけが偉大なお方である。時期は実り、時は人々を越えていく。人々が出来事をとおして語られる神の声に耳を傾け、理解し、温順であるとき、神の小さき奉仕者となる。私たちは人類という永遠に向かって流れる大河の水の一滴である」とフィリピンからのレポートを閉じています。

フィリピン訪問を終えたアルベリオーネ神父は、シスターテクラ・メルロと共に東京に向けて旅行を続けることになります。

彼らの第1回目の来日について述べる前に、パウロ会の兄弟たちの証言を紹介しながら、アルベリオーネ神父が望んでも行けなかった中国に関してご紹介したいと思います。

◆6--3 旅、そして旅


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