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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2017年 2月 4日


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 梅


「神はどんな方なのか、もっと知りたい」、「神とのかかわりを深めたい」と思っている人にとって、祈りはとても大切です。祈りは神とのコミュニケーションです。わたしたちは日常生活の中で、いろいろな人とかかわりを持ち、生きています。初対面であっても、だれかすばらしい人に出会ったとき、その人と親しくなりたいと思うなら、その人と出会い、いっしょに時間を過ごし、コミュニケーションを持つことがとても大切です。神との場合も、同じです。祈りは信じる者にとって、呼吸のようなものであり、キリスト者にとって、なくてはならないものです。しかし、「どのように祈ったらいいのだろう」と難しさを感じている人も多いことでしょう。今年のアレオパゴスの祈りは、福音書の中でイエスが教えている「祈り」について、ごいっしょに深めてまいりましょう。

わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人々を父である神の御手にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。

(沈黙)

お祈りしたい意向を心の中にたずさえて、ローソクをささげましょう。後ろでローソクを受け取り、祭壇にささげ、席にお戻りください。

『平和を祈ろう』No.57 「さあ 主の山に」① ②

マタイ福音書の言葉に耳を傾けましょう。(マタイ6.5~6)

祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。 だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

今、聞いた部分は、マタイ福音書にある山上の説教と呼ばれる箇所に登場します。この前の箇所である2~3節は、「施し」について書かれています。「あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない」。イエスは強い口調で、「偽善者たち」と言って、実際の行動に心が伴っていない人たちのことを述べています。「偽善者たち」と言えば、福音書の中で、イエスと対立していたファリサイ派や律法学者たちを思い出します。彼らは宗教家として律法をよく知っており、実践していました。しかし、彼らの外的な行為は神への賛美、愛というよりも、律法を忠実に守ることにおいて、自らを高めて横柄な態度を取り、守れない人々を見下げるというものでした。彼らは、「人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたが」ります。しかし、「あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め」るように、イエスは教えます。「奥まった自分の部屋に入って戸を閉める」のですから、他の人は入ってこられません。

 「奥まった自分の部屋」とは、一体どこを指しているのでしょうか。いろいろな解釈ができますが、その中の一つとして、「わたしの心」と言えるかもしれません。

「心」は、特別な場所です。いろいろな感情、思いが行き交うところです。その一部を、わたしたちは人と分かち合います。家族、友人、会社の上司、同僚など……。分かち合う度合いは、相手がどれだけ自分と親しいかによって、違います。しかし、自分にとって一番に親しい人であっても、自分の心のすべてを伝えることはしないでしょう。また、心のすべてを表現して、伝えることはできません。わたしたちの心には自分でも意識していない、無意識の部分がとても多くあるからです。「心」という場所は、それだけプライベートで、海のように深い深い場所なのです。

イエスは、「あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め」るように、教えます。では、そこには、わたし以外にだれがいるのでしょうか。イエスは、おっしゃいます。「奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」。わたしたちの父である神は、目には見えませんが、「隠れたところにおられ」、わたしたちを見守り、祈りを聞いてくださいます。今、わたしの心を意識しながら、共にいてくださる神に心を向けましょう。沈黙のうちに、神が共にいてくださるこの時間を味わいましょう。

(沈黙)

父である神が、愛といつくしみをもってわたしたちを造り、この世に存在するものとしてくださったことに感謝して祈りましょう。

   限りない、いつくしみの神、あなたは賛美されますように。
   あなたは人に自然の命のほかに、超自然の命を注がれました。
   あなたは人をご自分の子とし、ご自分の幸いに招き、
   いつくしみの愛で満たしてくださいました。
   あなたの偉大な恵みの尊さを知ることができるよう、わたしを照らしてください。

先ほど聞いた福音書の続きを聞きましょう。(マタイ6.7~8)

また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。 彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。

(沈黙)

イエスはおっしゃいます。「あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる」。わたしたちの生活には、言葉や情報が洪水のようにあふれています。自ら意識して、「奥まった自分の部屋に入って戸を閉め」なければ、一日中、何らかの音にさらされることになるでしょう。祈りを深めたいと思うなら、沈黙することを学ぶ必要があります。性格的におしゃべりが好きな人には、イエスの言葉は耳が痛いかもしれません。だからといって、何も言わず、ただ黙っているということでもありません。生活の中で、音にさらされている現代人にとって、静かな時間、沈黙のときを持つことはとても難しいものです。だからこそ、「奥まった自分の部屋に入って戸を閉める」ことが大切になってきます。そこで、神とわたし、一対一のかかわりで、時間を取るのです。そこにはだれも入ることができません。

「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」と、イエスはおっしゃいます。子どもを愛している親は、子どもに何が必要か、その素振りや姿を見て分かるものです。それは、わたしたちの父である神様にも同じことです。人と人とが話しているとき、言葉の力で、「相手を説得しよう」、「自分の意見の方が正しい」と一生懸命、自己主張する人がいます。神には、そんなことは必要ありません。わたしたちを見守り、愛してくださっているので、何が必要か、ご存じです。しかし、わたしたちは、「必要だ」と思って祈っても、すぐに何でも与えられるわけではありません。神は父親なので、子どもにすぐに何でも与えることが、その子のためによくないこともある、とご存じです。その人の成長にとって、その恵みが必要なときに与えてくださいます。これらのことを思い起こしながら、父である神に向かって、沈黙のうちに祈りましょう。

(沈黙)

 高山右近像
高山右近像


日本の教会は、2月7日、ユスト高山右近の列福式のミサを大阪城ホールでささげます。武士として成功の道を歩むこともできた右近は、人生の中で何が大切なのか、祈り続け、キリストの証し人として十字架の道を歩むことを選びました。列福の恵みに感謝し、わたしたちも彼の模範に倣うことができますようにと願いながら、わたしたちの必要を知っておられる父である神に信頼して、「主の祈り」を唱えましょう。

「主の祈り」、「アヴェ・マリアの祈り」、「栄唱」

この祈りの時間にいただいた恵みを、沈黙のうちに感謝しましょう。

(沈黙)

いただいた恵みに感謝し、いつもわたしたちとともにいてくださる主に信頼して歩んでいくことができますようにと願って歌いましょう。

『平和を祈ろう』 No.62 「緑の牧場に」①、③

祈りましょう。
いつくしみ深い神よ、キリストによって、あなたはご自分がすべての人の父であることを示してくださいました。あなたのいつくしみに感謝して祈ります。わたしたちがあなたの子どもであることを感謝し、祈りと人々への愛のわざをとおして、あなたが父であることを兄弟姉妹たちに伝えることができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

+ 父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。


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