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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2018年 2月 3日


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 紅梅


今年のアレオパゴスの祈りでは、世界や日本で人びとが必要としている恵みを思いめぐらしながら、ごいっしょに祈りたいと思います。今日2月3日、日本の教会は、福者ユスト高山右近を記念して祝いました。日本の教会も世界に広がっている世俗化という影響を受け、社会の中で信仰を守って生きることが難しくなっています。また急速な少子高齢化という変化の中で、洗礼を受ける人が減り、司祭、修道者の召命が少なくなってきています。福者の取り次ぎを求めながら、日本の教会の必要のために祈りましょう。

わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人びとを神様の御手にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。

(沈黙)

お祈りしたい意向を心の中にたずさえて、ローソクをささげましょう。ローソクを受け取り、祭壇にささげ、席にお戻りください

「聖なる霊よ 愛の炎を」3回くり返す

ヨハネによる福音(ヨハネ12.23~28)を聞きましょう。

そのとき、イエスは弟子たちに仰せになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、 多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、 それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、 わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、 父はその人を大切にしてくださる。今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たの だ。父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄 光を現した。再び栄光を現そう。」

高山右近列福式のミサの中で話された、アンジェロ・アマート枢機卿様の説教の一部を聞きましょう。

日本のカトリック共同体は、キリストの気高い子、その証し人であるユスト高山右近の列福の祭典を祝っています。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」 というヨハネ福音書 12 章に記されたイエスのことばは、右近の中で実現しました。日本の教会は、数知れない殉教者の素晴らしい証しによって祝福されています。それは例えば、聖パウロ三木、聖トマス西、福者ペトロ岐部、そして彼らの同志たちです。日本の殉教者たちには、老若男女、武士と一般の人びとなど、あらゆる階層の人びとがいます。福者ユストは、教会における栄光に満ちた最初の殉教者たちがそうであったように、キリストの卓越した証し人です。

ユスト高山右近とは、だれであったのでしょうか。彼は、きわめて高い地位の人であり、日本の貴族階級に属していました。合戦で大きな手柄を立てた右近を、秀吉は大名に取り立てました。右近はキリストの教えを広めることを望み、日本人の宣教師やカテキスタを育てるため、安土、高槻、大阪にセミナリオを建てました。領内のキリスト者は、きわめて多くなり、1583 年には、3万人の領民のうち25,000人に達し、人口の大半を占めるほどだったといわれ ます。右近は、大阪の教会も創設しました。また領地が明石に変わったとき、福音宣教活動を広げました。 1585 年から1587 年までに、千人以上が洗礼を受けたのです。 しかし残念ながら、1614 年 2月、一つの法令が発布されました。それは右近と金沢のキリスト信者に対し、信仰を捨てるよう命じるものでした。これを拒んだ右近は、貧しさと孤独に耐える苦しみの時期を迎えることになります。まず長崎に送られ、フィリピンへの追放を命じられました。1614 年11 月8日、300 人の日本人信者らとともに長崎の港で乗船し、43 日間の長く辛い航海の後、マニラに到着しました。追放と流配による病のために衰弱しきった右近を、1615 年2月3日、主は、みもとにお召しになりました。マニラに 着いてから44日後のことです。 フィリピンでの右近の死を悼む悲しみは、大きなものでした。人びとは、日本の気高いキリスト者の徳と聖性によって感化を受けました。

武士としての才能を認められ、右近は信長や秀吉から信任されていました。しかし、世間的な地位を求めるのではなく、イエスに従うことを彼は選びました。右近は10歳のときに洗礼を受け、その召し出しに忠実であろうとしたのです。しばらく沈黙のうちに、祈りましょう。

(沈黙)

『パウロ家族の祈り』p.181(3)を唱えましょう。
   師イエス、神のひとり子である あなたを礼拝します。
   あなたは人びとにいのちを、しかも豊かないのちを与えるためにこの世に来られました。
   十字架の死をとおしてわたしたちにいのちをかち得、これを洗礼によって与え、
   聖体とその他の秘跡によって成長させてくださることを感謝します。
   師イエス、わたしたちが精神を尽くし、力を尽くし、心を尽くしてあなたを愛し、
   あなたへの愛のために隣人を自分のように愛することができるよう
   わたしたちに聖霊を注ぎ、あなたの住まいとしてください。
   いつの日か、わたしたちが栄光のいのちに呼び起こされ、
   あなたとともに永遠の喜びに入ることができるように
   わたしたちのうちに愛を増してください。

   道・真理・生命である師イエス、わたしたちをあわれんでください。

 高山右近
高山右近 絵:三牧樺ず子


アマート枢機卿様の説教の続きを聞きましょう。

福者右近が、教会とすべての信者に何を残したのでしょうか。それは、偉大な信仰の宝です。彼の信仰は、その存在の核心をなすほど成熟していました。その生涯は、日本人としての生であり、茶の湯は、右近によって人びとの交わりと兄弟姉妹の関わりの場になりました。 また彼の行動は、まさしく福音的でした。家来たちととともに憐れみを示し、貧しい人びとを助け、困り果てた侍たちには援助を惜しみませんでした。ミゼリコルディアの組をつくり、病人を見舞い、寛大に施しをしました。父ダリオとともに、家族のない死者の柩を担ぎ、墓に葬りました。それらすべては、人びとを驚かせ、それに倣いたいとの望みを呼び起こしたのです。

迫害に直面したユストは、「人びとがわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう」という ヨハネ福音書15章20節に記されたイエスのことばによって照らされました。イエスはご自分を信じる人びとが担う悲劇の運命の中に不在なのでありません。主は、まさに、その中にこそ、存在していてくださることを、右近は確信していました。彼は罪のないキリスト者の嘆きの中に、イエスの受難と死、その復活がもつ新しい意味を見ていたのです。殉教者は何も失わず、かえって天上のエルサレムに着き、終わりない至福の中で神と出会うことができると知っていました。 右近は、自らもまた信仰を証しして殉教した使徒パウロのことばに満たされて生きた人です。「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か……。高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ローマ 8.35、39)。

殉教者は、実りのない英雄などではありません。いつくしみと愛を告げる確かな使者です。ユスト高山右近の列福は、神がその摂理によって日本と世界の教会の中に蒔く種なのです。大聖レオは、つぎのように記しています。「教会は、迫害によって弱くなるどころか、強められます。教会は、つねに豊かな実りに富む主の畑です。なぜなら、一粒ずつ地に落ちた小麦は、生まれ変わって豊かなものになるからです」。

この福者の模範が、イエス・キリストの福音への信仰と信頼へと、わたしたちすべてを突き動かしますように。

聖パウロは、フィリピの信徒への手紙3章5~6節で、自らのことを次のように言っています。「生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属す、ヘブライ人の中のヘブライ人であり、律法に関してはファリサイ派の一員、律法の義については非のうちどころのない者だった」。しかし、その彼も、「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」(ローマ7.21、24)と言わざるを得ない自分の内面を体験していました。救いは、イエスの死と復活によって与えられる、御父からの無償の恵みです。沈黙のうちに、しばらくふり返りましょう。

しばらく沈黙のうちに、祈りましょう。

(沈黙)

日本の教会の必要のため、またここに集まられたお一人おひとりの意向のために、福者高山右近の取り次ぎを求めて、祈りましょう。

   父と子と聖霊の三位の神よ、
   「福者ユスト高山右近殉教者の列聖を求める祈り」

   すべての人の救いを望まれる神よ
   あなたの恵みにささえられ、
   福者ユスト高山右近は、福音に忠実に従う道を選び、
   すべての地位と名誉を捨て、
   祖国から追放されて殉教を遂げました。
   幾多の困難を進んで受け入れ、
   あなたの愛を力強くあかしした右近が、
   世界のすべての人の希望となり、
   聖人の列に加えられますように。

   (右近の取り次ぎを願い、各自の意向を沈黙のうちに捧げる)

   いつくしみ深い神よ、
   福者ユスト高山右近の取り次ぎによって、
   わたしたちの心からの願いを聞き入れてください。
   わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

この祈りの時間にいただいた恵みを沈黙のうちに感謝しましょう。

(沈黙)

「主こそわが光 祈る右近」① ②

祈りましょう。
すべての人の救いを望まれる神よ、福者ユスト高山右近は、福音に 忠実に従う道を選び、すべての地位と名誉を捨て、祖国から追放されるという苦しみを耐え忍びました。 わたしたちも、その模範に倣い、この世の力や誘惑に打ち勝ち、揺らぐ ことのない信仰のうちに生きることができますように。

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。


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